東勝寺(宗吾霊堂)(千葉県成田市宗吾1-558)
阿弥陀三尊種子を主尊とする大形の下総型板碑で、南北朝時代末期 明徳二年(1391)の紀年銘がある。
東勝寺 阿弥陀三尊種子板碑(市指定文化財、南北朝時代末期 明徳二年 1391年、黒雲母片岩、高さ 219Cm 幅 140Cm)
身部は、上方中央に阿弥陀三尊種子、左右 縦列に各五仏種子、その下横列に六地蔵種子、下方に二十四行にわたる銘文を刻む。 |
合計十九の種子は各々月輪内に、また銘文には多数の交名と願文・紀年銘等が刻まれている。碑面の摩耗が進んでいる為、多くは判読できない。
板碑 頭部
山形・二条線は線刻で表し、身部の輪郭はない。中央に阿弥陀三尊種子を月輪内に刻む。
身部上方、「阿弥陀三尊」の種子を刻む。 | 下方刻銘(部分):「明徳二年(1391)」 |
阿弥陀三尊は、上に大きく阿弥陀如来の種子「キリーク」、向かって右下に観音菩薩の種子「サ」、左下に勢至菩薩の種子「サク」を月輪内に刻む。
身部下方の刻銘
刻銘:「右志者毎日廿四日地臧口口口、覚西辧覚口賢長培重阿口口、向阿彦七左近次郎来口口口、與一五郎右馬三郎文口口口、
次郎彦太郎右馬次郎口次口、孫八藤四郎左近次郎口口口、妙長徳尼性西尼性圓口口口、尼口女平法師女菊乙女口口、
女口口一妙蓮尼等口口口口、逆修之善根且為各口口口口、幷施福同心之所誠口口口口、口悉奉造立一口口口口口口、
誦経部之妙典依之口口口口、梵莚備三寶之知見口口口口、一結衆等現世口口口口口口、報當生坐九品安楽口口口口、
志口口口口六趣輪廻之安口、口口口口口凡結縁合力之、口口口口口之貴賎乃至口、突難口口口口口口平等利益、
明徳二年(1391)辛未十二月二十四日、契約一口口口口口口口口口、過去聖霊口次郎道口口口口口郎同道口口口口、
祐口道圓道口明了圓善唯敬明圓唯明口口口口」(千葉県史料 金石文篇 二)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
文面から 毎月二十四日、地蔵の有縁日に結衆する俗名・法名の男女が、この講の亡き構成員であった人達の「追善供養」と自分たちの現世安穏後生善処
を願う「逆修供養」の為、本板碑を造立したと思われる。南北朝時代末期 「明徳二年(1391)十二月」、地蔵の有縁日にあたる「二十四日」に造立されている。
上方 向って左側、縦列の五仏 | 上方 向って右側、縦列の五仏 |
上方、左右縦列の種子
向って右側の種子は、上から「金剛界大日(バン)、胎蔵界大日(ア)、薬師(バイ)、地蔵(イー)、不動(カーン)」
向って左側の種子は、上から「一字金輪(ボロン)、釈迦如来(バク)、普賢(アン)、文殊(アン)、弥勒菩薩(ユ)」
尚、左右縦列の種子 外側に各一行「梵字光明真言」が刻まれている。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
身部横列の種子(六地蔵)
向って右から「イー、イー、イー、カ、イ、イ」で、六地蔵とする。
二基並んで立つ下総型板碑
本板碑は向って左側、右は阿弥陀如来を主尊とする板碑で康永元年(1342)の紀年銘がある。
東勝寺(とうしょうじ)仁王門 (昭和五十三年 1978年 完成)
東勝寺は、征夷大将軍 坂上田村麻呂が蝦夷を征服した時、この地で戦没者を供養したのが始まりといわれている。
*京成本線 「宗吾参道駅」 下車、北方向へ徒歩 約14分。
(撮影:平成25年3月11日)