東勝寺(とうしょうじ)阿弥陀種子板碑

 東勝寺(宗吾霊堂)(千葉県成田市宗吾1-558)

   碑面に阿弥陀種子「キリーク」を刻む下総型板碑で、南北朝時代前期 康永元年(1342)の紀年銘がある。

東勝寺 阿弥陀一尊種子板碑(市指定文化財、南北朝時代前期 康永元年 1342年、黒雲母片岩、高さ 180Cm 幅 110Cm)

大本堂に向って左手横の境内に立つ、二基の内右側。身部は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、下方に九行に亘る銘文を刻む。

本板碑は、宗吾参道駅の南東 約600m 酒々井(しすい)町伊篠(いじの)231の山林にあったものという。

板碑 頭部

頭部は山形に加工はせず、二条線、身部の輪郭もない。

身部上方「阿弥陀如来」の種子「キリーク」を刻む。 身部中央(下)刻銘:「康永元年(1342)、壬午、十月日」

主尊の「キリーク」は、天蓋や蓮座で荘厳することも無く、そのまま薄く刻まれている。

身部下方の刻銘

刻銘は、中央に「右意趣者為、康永元年(1342)、壬午、十月日」、

向って右から左に「別口口佛結衆、第所志過去諸、聖霊并面ゝ逆、修善根也仍出」、「離生死往生極、

楽乃至法界有、縁無縁群類平、等利益邊(辺)矣」、右端下方に「一結衆」、左端下方に「各々敬白」と刻む。

別口口仏のもとに何人かが結衆して、自分たちの生存中に自らのため、死後の法要を行う「逆修供養」として康永元年(1342)十月にこの板碑が造立された。

中央(上)刻銘:右意趣者為」 下方、向って右側の刻銘:「一結衆」

身部下方(向って右側)の刻銘

刻銘:「別口口佛結衆、第所志過去諸、聖霊并面ゝ逆、修善根也仍出」

身部下方(向って左側)の刻銘

刻銘:「離生死往生極、楽乃至法界有、縁無縁群類平、等利益邊(辺)矣」

二基並んで立つ下総型板碑

本板碑は向って右側、左は阿弥陀三尊を主尊とする板碑で明徳二年(1391)の紀年銘がある。

東勝寺(宗吾霊堂) 大本堂

承応年間(1652~55)領主堀田政信の暴政を直訴し、磔刑に処せられた木内(佐倉)宗吾の霊を祀る。

但し、真言宗の本尊は大日如来。

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東勝寺(とうしょうじ)門前

木内(佐倉)宗吾を祀る宗吾霊堂の存在が、人々の信仰をより篤いものにしている。

 板碑(いたび)

*京成本線 「宗吾参道駅」 下車、北方向へ徒歩 約14分。

(撮影:平成25年3月11日)