禅昌寺(ぜんしょうじ)(千葉県香取市大戸川119)
頭部が山形に整形された下総板碑で、金剛界五仏の下に主尊の阿弥陀種子を大きく刻む。鎌倉時代後期 元亨元年(1321)の紀年銘がある。
禅昌寺(ぜんしょうじ)阿弥陀種子板碑(鎌倉時代後期 元亨元年 1321年、黒雲母片岩、高さ 187Cm 幅 78Cm)
身部は、輪郭を巻き三区に分ける。上区は金剛界五仏の種子、中区は二重輪郭で内に大きく阿弥陀種子、下区は銘文を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻き縦三区に分かつ。上区は金剛界五仏の種子を刻む。
不空成就 | 阿弥陀如来 | 宝生如来 | 阿閦如来 | 金剛界大日如来 |
(アク) | (キリーク) | (タラーク) | (ウーン) | (バン) |
身部、上区の金剛界五仏
主尊の阿弥陀種子「キリーク」を金剛界五仏で荘厳する。
尚、金剛界五仏像の色は、金剛界大日:白、阿閦(あしゅく):青、宝生:黄、阿弥陀:赤、不空成就:緑で、チベットに残る金剛界曼荼羅では正確に色分けされている。
瓔珞(ようらく)を垂らした天蓋(てんがい)の下、蓮座上月輪内に刻まれた「阿弥陀如来」の種子「キリーク」。 |
主尊の阿弥陀種子「キリーク」は上方と左右に輪郭をつくり二重輪郭とし、更に阿弥陀種子の左右に各一行 「梵字光明真言」を刻んでいる。
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
身部下方の刻銘
向かって右から「敬白、奉造立石卒塔婆一基」「右旨趣者奉為慈父還幽、霊四十九日也、夫塔婆者大日遍照尊像、口菩
薩口形也広三世、口口口口口提之中十方、口口者口万墳之下然則、恐達依此善根之功力口、忮太山之我断従下品
移、上品自等覚登妙覚矣、乃至上有頂下无間利益、不限仍造立如件」「元亨元年(1321)、辛酉、十二月三日胤光、敬白」
鎌倉時代後期 元亨元年(1321)十二月三日、胤光が亡き父 四十九日の法要に本板碑を造立し、供養した。
刻銘:「元亨元年(1321)、辛酉、十二月三日」 | 板碑 側面、板碑は、奥の墓地に立っている。 |
板碑 背面
背面も、丁寧に磨きがかけられている。
禅昌寺(ぜんしょうじ)(千葉県香取市大戸川119)
碑面に十三仏種子を刻む板碑で、室町時代前期 文安元年(1444)の紀年銘がある。
禅昌寺(ぜんしょうじ)十三仏種子板碑(室町時代前期 文安元年 1444年、黒雲母片岩、高さ 81Cm 幅 51Cm)
十三仏は、死者の追善供養のために①.初七日(不動)、②.二七日(釈迦)、③.三七日(文殊)、④.四七日(普賢)、⑤.五七日(地蔵)、⑥..六七日(弥勒)、⑦.七七日(薬師)、
⑧.百ヶ日(観音)、⑨.一周忌(勢至)、⑩.三回忌(阿弥陀)、⑪.七回忌(阿閦)、⑫.十三回忌(大日)、⑬.三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。
板碑は、天蓋の下 中央に大きく金剛界大日(五点具足)、胎蔵界大日(五点具足)の種子、小さく阿弥陀種子、左右に各一列 六仏の種子を刻む。 |
本板碑は、向って右下の①.不動を起点として、左下②、釈迦、上に上がり右③.文殊、左④.普賢、同様に⑤.地蔵、⑥.弥勒、⑦.薬師、⑧.観音、⑨.勢至、⑩不明、
⑫.大日(金)、⑬.虚空蔵、中央下から⑩.阿弥陀、⑪.大日(胎)、⑫大日(金)と続く。通常の⑪阿閦は、大日(胎)に置き換えられている。また、金剛界大日が二ヶ所
あり、中央の金剛界大日(五点具足 「バーンク」)・胎蔵界大日(五点具足 「アーンク」)は梵字も大きく刻まれ、天蓋と蓮座で荘厳している。刻銘は、摩耗が進む。
刻銘は、向って右端に「右志者為口口禅門口口善根也」、左端に「文安元年(1444)、甲子、十一月十五日敬白」と刻む。
*JR成田線「大戸駅」下車、北西方向へ 約250m。
(撮影:平成25年3月12日)