観福寺(かんぷくじ)(千葉県香取市牧野1752)
胎蔵界大日種子(五点具足)「アーンク」を主尊とする下総板碑で、安土桃山時代 文禄三年(1594)の紀年銘がある。下の阿弥陀種子板碑と双式。
観福寺(かんぷくじ)胎蔵界大日種子板碑 (安土桃山時代 文禄三年 1594年、黒雲母片岩、高さ 143Cm 幅 120Cm) |
観福寺の墓地に立っている。板碑は、中央に胎蔵界大日種子(五点具足)「アーンク」、左右に願文・造立者名と紀年銘を刻む。 |
主尊種子の向って右に「為、妙口禅尼、逆修菩提、也 太郎兵衛、内座」、左に「文禄三年(1594)甲午、八月日、乃至法界、自他平均」の刻銘がある。
板碑 天蓋(てんがい)
主尊 胎蔵界大日如来の種子(五点具足)「アーンク」を線刻の天蓋(てんがい)で荘厳する。
蓮座上に胎蔵界大日種子(五点具足)「アーンク」を刻む。 | 刻銘:「為、妙口禅尼、逆修菩提、也 太郎兵衛、内座」 |
文禄三年(1594)八月に部田太郎兵衛が、妻女である妙口禅尼の為、逆修供養板碑として造立した。
観福寺(かんぷくじ)(千葉県香取市牧野1752)
阿弥陀種子「キリーク」を主尊とする下総板碑で、安土桃山時代 文禄三年(1594)の紀年銘がある。上の大日種子板碑と双式。
観福寺(かんぷくじ)阿弥陀種子板碑 (安土桃山時代 文禄三年 1394年、黒雲母片岩、高さ 145Cm 幅 121Cm)
胎蔵界大日種子板碑の横に立つ。板碑は、中央に阿弥陀如来の種子「キリーク」、左右に願文・造立者名と紀年銘を刻む。 |
板碑 中央
阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻み、天蓋と蓮座で荘厳する。
主尊種子の向って右に「為逆修善根七分全得也 部田太郎兵衛」、左に「文禄三年(1594)甲午、七月日、乃至法界普利」の刻銘がある。
文禄三年(1594)七月に部田太郎兵衛が、自身の逆修供養板碑として造立した。
刻銘にある「七分全得」という言葉は、下総板碑にしばしば出てくる。「七分全得」とは、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功徳
は自分が得られる。死後の追善は、死者が益を受けること極めて少なく、福を七分して、死者が一分を得られ、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。・.
二基並んで立つ双式板碑
文禄三年(1594)七月(阿弥陀種子)と八月(大日種子)に部田太郎兵衛が、自身と妻女である妙口禅尼の逆修供養の為、本板碑を造立した。
観福寺(かんぷくじ)観音堂 (江戸時代中期 元禄年間 1688~1704年)
平将門の守護仏とされる 本尊 聖観音像が安置されている。
観福寺は、中世以降 伊能家一族の帰依を受けるようになった。
*JR成田線 「佐原駅」下車、 南方向へ徒歩 約25分。JR佐原駅前にレンタサイクルがあるので、便利に利用できる。
(撮影:平成25年3月12日)