長安寺(ちょうあんじ)(滋賀県大津市逢坂2丁目3-23)
我国最大の石造宝塔で、その大きさと美しさに圧倒される。平安時代後期の作品とされている。
長安寺(ちょうあんじ)石造宝塔 (重要文化財、平安時代後期、花崗岩、高さ 353Cm)
笠上、四角形の台と宝珠は後補。 | ||
入口の石段を登った右手、小広場に立っている。 | 首部、一段で長く、側面は無地。 |
近江から京に入る逢坂山の関所。平安時代、そこに関寺があった。その、関寺の跡地に長安寺が建っている。
笠
笠は六角形で、屋根の勾配は緩く、軒は緩やかに反る。頂部に露盤を刻み出す。
塔身は長大でゆるやかな曲線をもち、平面は円形。また、宝塔は、笠が六角形、塔身円形、基礎八角形で、特異な組合わせ。 |
その大きさと共に、宗教的な雰囲気を醸し出している。
基 礎
基礎は八角形で、背は低く安定感があり、古式を示す。
長安寺(ちょうあんじ)石造宝塔 (重要文化財、平安時代後期)
『無名秘抄』(鴨長明 著)によれば、建暦年間(1211〜3) 関の清水に案内された文があり、そのなかに 「道より北のつらに、
少したちあがりたる所に、一丈(3.03m)ばかりなる石の塔有」の記述がある所から、その「石の塔」は長安寺宝塔とみられ、建
暦年間には本石塔があったとみられている。口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口口
長安寺(ちょうあんじ)石造宝塔 (重要文化財、平安時代後期)
万寿二年(1025)の「関寺縁起」によれば、天延四年(976)の地震で破損した関寺を復興する際に、労力として
使われた一頭の牛が、仏の化身であるという噂が立った。万寿二年(1025)、霊牛は関寺の工事が終わると死
んだ。この霊牛を供養し祀ったのが「牛塔」と呼ばれている本宝塔である。(現地説明板)口口口口口口口口口
長安寺(ちょうあんじ)の石造遺品(滋賀県大津市逢坂2丁目3-23)
百 体 地 蔵
元亀二年(1502)の比叡山焼き打ち。比叡山山麓(大津市坂本)に埋もれていた石仏百体を、昭和35年にこの地に移した。
一遍上人供養塔 | 超一房(一遍上人の妻)供養塔 |
長安寺は、一遍を開祖とする時宗の寺院。
小野小町供養塔
謡曲「関寺小町」で晩年の小野小町と関寺の関係が歌われている。
長安寺(ちょうあんじ)(時宗)
長安寺の前身「関寺」は、逢坂の関 近くにあった大寺院。平安時代、「関寺大佛」として特に有名であったという。
石造宝塔紀年順 | 常住院(じょうじゅういん)山王堂 石造宝塔(平安時代後期) | 石造 宝塔-紀年順-目次 |
*京阪電車 京津線「上栄町」下車、徒歩3分。上栄町は無人駅、登りと下りのホームが違うので注意。
(撮影:平成19年4月14日、平成19年12月15日、平成25年12月30日)