徳源院(とくげんいん)宝篋印塔群・下段

 徳源院(とくげんいん)(滋賀県米原市清滝288)

 鎌倉時代から近江守護職の佐々木京極氏の菩提寺で歴代当主 他三十四基の宝篋印塔がある

徳源院宝篋印塔群(国・県史跡、鎌倉時代中期〜江戸時代))

上下二段に分け、上段には鎌倉時代中期〜室町時代の宝篋印塔十八基(国史跡)、下段には、石廟に入った高次(たかつぐ)墓(国史跡、桃山時代)

のほか南北朝〜江戸期の宝篋印塔十四基(県史跡)、計十五基と五輪塔三基(県史跡)があり、上下段三十四基の歴代当主 他 の墓塔が一堂に集められている

京極家墓所は江戸時代に二十二世 高豊(たかとよ・丸亀藩主)が整備した

下段(南側)安置位置 1(奥の小塔)、手前左から2・3・4 下段中央、左から 5(石造廟堂内)・6(木造廟堂内)・7(木造廟堂内)

 下段の宝篋印塔    国指定史跡       県指定史跡)

指定 名     称 制作年 安置場所 墓名
無銘宝篋印塔 南北朝時代 1 北畠 具行 墓塔
弘化二年(1845年)銘宝篋印塔 江戸時代後期 2 高美 墓
宝暦十二年(1762年)銘宝篋印塔 江戸時代中期 3 高迢 墓
正保六年(1649年)銘宝篋印塔 江戸時代前期 4 高政 墓
慶長十四年(1609年)銘宝篋印塔 安土桃山時代 5 高次 墓
宝暦三年(1753年)銘宝篋印塔 江戸時代中期 6 高矩 墓
文化八年(1811年)銘宝篋印塔 江戸時代後期 7 高中 墓
寛永十四年(1637年)銘宝篋印塔 江戸時代前期 8 忠高 墓
寛文二年(1662年)銘宝篋印塔 江戸時代前期 9 高和 墓
元禄八年(1695年)銘宝篋印塔 江戸時代中期 10 高豊 墓
享保九年(1724年)銘宝篋印塔 江戸時代中期 11 高或 墓
寛保三年(1743年)銘宝篋印塔 江戸時代中期 12 高通 墓
宝暦六年(1756年)銘宝篋印塔 江戸時代中期 13 高慶 墓
寛政八年(1796年)銘宝篋印塔 江戸時代後期 14 高文 墓
天保九年(1838年)銘宝篋印塔 江戸時代後期 15 高賢 墓
慶応三年(1867年)銘宝篋印塔 江戸時代後期 16 高琢 墓

(参考文献:近江の石造美術 1 田岡 香逸 著 民族文化研究会発行 )

下段中央北側 8(向かって左側)、9(右側) 下段北側 10(向かって左側 木造廟堂内)、11(右側 木造廟堂内)

墓所南東側(正面西向き) 向かって右から 12・13・14・15・16の五基

 北畠 具行(ともゆき)墓 宝篋印塔                       石仏と石塔-目次!

道誉ざくら

徳源院境内に咲く二代目「道誉ざくら」(えぞひがんざくら の一種)。京極高氏(道誉)が植えたと伝えられている銘木

宝篋印塔紀年順  満福寺(まんぷくじ)参道 宝篋印塔(江戸時代中期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR東海道本線「柏原駅」下車 徒歩20分

(撮影:平成20年4月15日)