徳源院(とくげんいん)(滋賀県米原市清滝288)
下段の宝篋印塔
5.慶長十四年(1609年)銘宝篋印塔 (高次 墓)
近江源氏の家系であり、小浜城主として死んだ京極高次の法名と没年月日を刻む宝篋印塔で、寛文十一年(1671)に丸亀藩主 京極高豊が造立した。
京極高次(たかつぐ)石廟
石廟の壁は、向かって右に不動明王、左に毘沙門天の各立像を刻んでいる
塔身、阿閦(ウーン)のみ蓮座上月輪内、他は直接金剛界四仏の種子を刻む | ||
国史跡、桃山時代 慶長十四年 1609年、凝灰岩、総高 157Cm | 基礎は正面のみ桟唐戸の扉形を刻み、他の三面は素面 |
宝篋印塔は反花座上に立つ。塔身は四面に金剛界四仏を刻み、笠は下二段・上六段、隅飾りは二弧輪郭付で外傾する。
塔身の金剛界四仏は東面が阿閦如来(ウーン)、南面が宝生如来(タラーク)、西面が阿弥陀如来(キリーク)、北面が不空成就如来(アク)の各種子を刻んでいる
笏谷石(凝灰岩)で造られ、塔身の月輪に施された細かい蓮弁や、基礎側面の上段が竪連子で下段が格狭間、それを左右に配する所など、越前で造られたことを物語っている
基礎正面の左右両端と中央に「慶長十四年(1609)己酉年」、「泰雲院殿前三品相公、徹宗道閑大居士神儀」、「五月三日」の刻銘がある。
刻銘は、福井県小浜城主として死んだ京極高次の法名と没年月日で、石塔は寛文十一年(1671)に丸亀藩主 京極高豊が造立した。
6.宝暦三年(1753年)銘宝篋印塔(高矩 墓)、7.文化八年(1811年)銘宝篋印塔(高中 墓)
宝暦三年(1753年)銘宝篋印塔(高矩 墓) | 文化八年(1811年)銘宝篋印塔(高中 墓) | |
県史跡、江戸時代中期 宝暦三年 1753年 | 県史跡、江戸時代後期 文化八年 1811年 |
10.元禄八年(1695年)銘宝篋印塔 (高豊 墓)、11.享保九年(1724年)銘宝篋印塔(高或 墓)
元禄八年(1695年)銘宝篋印塔(高豊 墓) | 享保九年(1724年)銘宝篋印塔(高或 墓) | |
県史跡、江戸時代中期 元禄八年 1695年 | 県史跡、江戸時代中期 享保九年 1724年 |
笠は下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付きで内は素面 | ||
県史跡、南北朝、花崗岩、塔身と相輪頂上の請花・宝珠は後補 | 基礎上端二段、側面は輪郭を巻き三茎蓮を陽刻する。格狭間はつくらない |
道誉ざくら
京極高氏(僧名:道誉)が植えたと伝えられる樹齢 約300年の えぞひがんざくら の一種。春には見事な花を咲かせる
宝篋印塔紀年順 | 智恩寺(ちおんじ)宝篋印塔(一夢斎の墓)(安土桃山時代) | 宝篋印塔-紀年順-目次 |
*JR東海道本線「柏原駅」下車 徒歩20分
(撮影:平成20年4月15日)