智恩寺(ちおんじ)(京都府宮津市天橋立文珠小字切戸)
日本三景の一つ「天橋立」の起点で、日本三文殊の寺院として栄えている
智恩寺(ちおんじ) 地蔵石仏(南側二体)
地蔵菩薩石仏(室町時代、砂岩製、向かって右側は市指定文化財で応永三十四年 1427年の作)
二体とも右手錫杖、左手宝珠の通常形で仏身を一石から丸彫りする。特に右側は、美しい顔立ちをしている。衣文の彫りは薄い
地蔵石仏(右側)(市指定文化財、室町時代前期、応永三十四年 1427年、砂岩、高さ 184Cm) |
保存状態の良い右側の地蔵は、背面に刻銘があり、三重郷(現 京丹後市大宮町)の大江越中守の発願により応永三十四年に造立された
背面の刻銘:「願主三重郷大江越中守法名永松、奉彫刻一千躰内特取石等身同以、結永旨勝因者也、応永卅四年九月十七日」
地蔵石仏(左側)(室町時代前期、砂岩、高さ 164Cm)、お顔と両手先に損傷があり刻銘はない。右側と同時代の造立 |
智恩寺(ちおんじ) 地蔵石仏(北側一体)
地蔵石仏(市指定文化財、室町時代前期、永享四年 1432年、砂岩、高さ 169.7Cm)
右手錫杖、左手宝珠の通常の地蔵形で、頭部は後補。南の二体に比べ、衣文の流れなど深く、的確に彫られている。 |
背面に刻銘があり、三上稲葉守(因州太守沙弥祐長)の発願により、室町時代前期の永享四年(1432)の造立されたことがわかる
宝篋印塔(安土桃山時代 慶長十六年 1611年、稲富一夢斎の墓)、桃山時代の様式を伝える宝篋印塔 |
宝丹後国主 京極高知が稲富流砲術家 稲富一夢斎の追善供養の為造立された宝篋印塔で台石に「慶長十六年(1611)辛亥二月六日」の刻銘がある
慶長十六年二月六日は、一夢斎の没年時で石塔は桃山時代の様式を伝える。隅飾が上部に開き、外傾する。塔身は金剛界四方仏の種子を刻んでいる。・・・
知恵の輪(ちえのわ)
江戸時代中期 享保十一年(1726)刊行の書物に掲載されている輪灯籠。バックは天橋立
智恩寺多宝塔(重要文化財、室町時代 明応十年 1501年、こけら葺、高さ 18.1m)
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*北近畿タンゴ鉄道 宮津線「天橋立駅」下車、徒歩 5分。
(撮影:平成19年1月3日、平成21年10月20日)