八坂神社(やさかじんじゃ)九重石塔

 八坂神社(やさかじんじゃ)(滋賀県米原市三吉)

  湖北地方における鎌倉時代後期の完全な石造層塔の遺品

八坂神社九重石塔(市指定文化財、鎌倉時代後期 元亨三年 1323年、花崗岩、高さ 394.5Cm)

初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座に坐す四方仏を半肉彫りする(正面)
九重石塔は、境内の向かって右手奥、林の中腹に立っている 初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座に坐す四方仏を半肉彫りする(北面)

屋根は、左右によくのびて安定した形をつくる

初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座に坐す四方仏を半肉彫りする(背面)
初層軸部、舟形を彫りくぼめ蓮華座に坐す四方仏を半肉彫りする(南面) 初層軸部、正面の如来坐像の脇に元亨三年(1323)の刻銘がある

基礎は正面のみ輪郭を巻き、格狭間内に近江文様の宝瓶三茎蓮を刻む。他の三面は無地。

格狭間は、鎌倉時代後期の通常形ではなく、上辺を四つの弧線に作っている

相輪、下から伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠 屋根の軒反は、鎌倉時代後期の特徴で、先端がぴんとして力強い

壬申の乱・横川の古戦場跡(醒ヶ井駅から国道21号線を西へ400m、丹生川に出会う所)

壬申の年(672)七月七日、大海人皇子(天智天皇の実弟)軍と大友皇子(天智天皇の子)軍がここ横川で激突、大海人皇子軍が勝利した。以後、

大海人軍の連戦連勝、瀬田橋の戦いで大友軍が大敗した後、七月二十三日に大友皇子は自害した。翌年正月、大海人皇子は即位し天武天皇となる

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八  坂  神  社

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*JR東海道本線「醒ヶ井駅」下車、西南方向へ徒歩30分。国道21号線「樋口」より南へ約200m

(撮影:平成20年10月18日)