西明禅寺(さいみょうぜんじ)石造宝塔

 西明禅寺(さいみょうぜんじ)(滋賀県蒲生郡日野町西明寺1238)

  もとは天台宗の寺院だったが、寛永年間(1624〜1643)に永源寺の空子和尚が再興し現在は臨済宗永源寺派の寺院

西明禅寺(さいみょうぜんじ)石造宝塔(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 約145Cm)

相輪は、九輪の四輪あたりで折れ、残りは塔身の横に置いてある
石塔は本堂裏側、山裾の墓地の右端に立っている 笠は、下に薄く垂木型、四隅に降棟、頂部に露盤を刻出する

塔身軸部は、正面にのみ扉型を刻出し、上部は高欄と首部の二段をつくる

塔身の横にある相輪の頂部は、宝珠・請花の下に水煙をつけているのが珍しい。田岡香逸氏は、基礎から造立年代を推定し1320年頃としている

基礎頂部は、円形座をつくり塔身を受ける。側面は、四面とも輪郭を巻き、内に格狭間をつくる

  西明禅寺(さいみょうぜんじ)宝篋印塔

   笠の隅飾が異色な寄せ集めの宝篋印塔

西明禅寺宝篋印塔(笠部鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 約170Cm)

本堂裏の山裾にある墓地、向かって左端にある寄せ集めの宝篋印塔 相輪は江戸時代の後補

笠は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付で正面の内側にのみ小さい二弧の隅飾形を薄肉彫りする

塔身は江戸時代の後補
正面隅飾、輪郭内に異色の二弧隅飾形を陽刻する 塔身の下に、別石で複弁の反花座を置く

  西明禅寺 乾元二年(1303)銘宝塔残欠(基礎)

   上記、宝篋印塔の基礎に用いられている石造宝塔の基礎

宝塔基礎(町指定文化財、鎌倉時代後期 乾元二年 1303年、花崗岩、高さ 30.3Cm 幅 50.8Cm)

壇上積式基礎で、正面にのみ格狭間内に見事な宝瓶三茎蓮の近江文様を飾っている

両側の束に「乾元二年癸卯四月 日」「奉造立」の刻銘がある

乾元の年号は正安四年(1302)十一月二十一日から嘉元元年(1303)八月五日の九ヶ月もなく希少

向かって左側、基礎側面(格狭間内は無地) 向かって右側、基礎側面(格狭間内は無地)

  蓮台野(れんだいの)石仏群

向い側南尾根、蓮台野の中世墓地にあった五輪塔や石仏が、造成工事により発掘され一堂に集められた

 北畑(きたはた)八幡神社宝篋印塔                     石仏と石塔-目次!

西  明  禅  寺

本尊の十一面観音像(平安時代後期)は、国指定重要文化財

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*近江鉄道「日野駅」よりコミュニティバスで日野記念病院前(徒歩で25分)へ。コミュニティバス熊野神社行きに乗車、終点で折り返しに乗車(日野記念病院行き)、「西明寺バス停」下車 すぐ

(撮影:平成20年11月13日)