清浄寺(しょうじょうじ)「南无仏」 板碑

 清浄寺(しょうじょうじ)(埼玉県吉川市木売2-20-5)

  碑面に「南无佛(なむぶつ)」と刻む。正安元年(1299)、元・成宗の国書を携えて渡日した名僧「一山一寧(いっさんいちねい)」の書を写したものといわれる。

清浄寺「南无仏」板碑 (県指定文化財、鎌倉時代後期 正安三年 1301年、緑泥片岩、高さ 220Cm 下幅 50Cm)

本堂の手前に立つ。頭部山形、下に二条線、身部は二重線の輪郭を巻き、碑面中央に「南无(無)佛」、下方に紀年銘と光明真言を刻む。

板碑 頭部

頭部は低い山形、下に二条線、身部は二重線の輪郭を巻く。

刻銘:「南无(無)佛」 身部下方の刻銘:「正安三年(1301)・・」

「南无仏(なむぶつ)は、仏に対し心から帰依することをいう。

身部下方は、中央に「正安三年(1301)の年号、左右に梵字で「光明真言」を刻む。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

「南无仏」、南の文字

「南无佛」の文字は、元(げん)の渡来僧 一山一寧(いっさんいちねい)の書を写したものといわれている。

「南无仏」、无の文字

一山一寧は、鎌倉の建長寺、円覚寺、京都の南禅寺など、臨済宗大本山の住職を歴任した。

「南无仏」、佛の文字

一山一寧は、文保元年(1317)京都・南禅寺で示寂、その門流からはすぐれた五山文学者を輩出した。

板碑は、最下部を欠損し、鉄枠に補強され立っている。 板碑、側・背面

吉川市に隣接する松伏町の光厳寺「帰依仏」板碑源光寺「帰依仏」 板碑と同様、一山一寧(いっさんいちねい)の書を写したもので、禅宗の板碑に分類されている。

清浄寺(しょうじょうじ) 本堂

現在は、浄土真宗の寺院となっている。

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清浄寺(しょうじょうじ) (浄土真宗 本願寺派)

 板碑(いたび)

*JR武蔵野線 「吉川駅」下車、南方向へ徒歩 約5分。

(撮影:平成24年11月14日)