源光寺(げんこうじ)「帰依仏」 板碑

 源光寺(げんこうじ)(埼玉県北葛飾郡松伏町上赤岩1099)

  碑面に篆書体(てんしょたい)で、「帰依佛(きえぶつ)」と刻む。光厳寺「帰依仏」板碑と同様、一山一寧(いっさんいちねい)の書を写したもので、正安三年(1301)の銘がある。

源光寺「帰依仏」板碑 (市指定文化財、鎌倉時代後期 正安三年 1301年、緑泥片岩、高さ 242Cm 下幅 58Cm)

本堂の手前に立つ。頭部山形、下に二条線、身部は二重線の輪郭を巻き、碑面中央に「帰依佛」、下方に紀年銘・願文と光明真言を刻む。

板碑は、二分断されたものが近くの薮の中にあり、それを当寺の境内に移し、修復したという。

板碑 頭部

頭部は低い山形、下に二条線、身部は二重線の輪郭を巻く。

刻銘:「帰依佛」 身部下方の刻銘

仏・法・僧の三方に帰依することを三帰依といい、「帰依仏」は仏に対して自己の心身を投げ出して信奉することをいう。

刻銘は、下方中央に「正安弎季(1301)五月・・」、左右に「成右志有為古守殿・・・」、「兼又為一結諸衆往生・・」、更にその左右に「光明真言」を刻む。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

身部 下方

中央に「正安弎(三)(1301)五月・・」の文字が大きく記されている。

刻銘:「正安弎(三)(1301)五月・・」 この板碑は、金沢北条氏に関係するものと推定されている

吉川市の一部を含むこの地は赤岩郷を形成し、鎌倉時代中期以降 金沢北条氏が支配し、称名寺(真言律宗、現横浜市金沢区)に寄進されたという。

一山一寧(いっさんいちねい)の書を写した板碑は、光厳寺「帰依仏」板碑(松伏町)や清浄寺「南无仏」 板碑(吉川市)など、この地域に限定され存在している。

「帰依仏」、佛の文字

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源光寺(げんこうじ) (浄土宗)

 板碑(いたび)

*東武伊勢崎線 新越谷駅東口からタローズバス 松伏高校経由 東埼玉テクノポリス行きに乗車、「松伏第二中学校バス停」下車 西方向へ約200m。または、JR武蔵野線 越谷レイクタウン駅前からタローズバス 松伏小学校入口経由 タローズ本社行きに乗車、「松伏第二中学校バス停」下車、西方向へ 約200m。バス停は、源光寺の裏側にあたる。

(撮影:平成24年11月14日)