長福寺(ちょうふくじ)(埼玉県さいたま市北区別所町98-6)
釈迦如来の種子「バク」を主尊とする板碑で、鎌倉時代後期 永仁三年(1295)の紀年銘がある。
長福寺 釈迦種子板碑(中央)(市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁三年 1295年、緑泥片岩、高さ 71Cm 下幅 21Cm)
板碑群前列、向って左から四基目。身部は、上方に釈迦の種子を蓮座上に、下方に「永仁三年(1295)」の紀年銘を刻む。 |
板碑 頭部
頭部 山形、下に二条線、身部の輪郭はない。
蓮座上に釈迦如来の種子「バク」を」刻む。 | 下方中央の刻銘:「永仁三年(1295)七月 日」 |
刻銘は、中央に「永仁三年(1295)七月 日」の紀年銘を刻む。
長福寺(ちょうふくじ)(埼玉県さいたま市北区別所町98-6)
釈迦如来の種子「バク」を主尊とする板碑で、主尊を荘厳する蓮座に線刻の技法を用いている。鎌倉時代後期 徳治二年(1307)の在銘碑。
長福寺 釈迦種子板碑(中央)(市指定文化財、鎌倉時代後期 徳治二年 1307年、緑泥片岩、高さ 59Cm 下幅 19Cm)
板碑群前列、向って左から五基目。身部は、上方に釈迦如来の種子を蓮座上に、下方に「徳治二年(1307)」の紀年銘を刻む。 |
板碑 頭部
頭部山形、下に二条線、身部の輪郭はない。
蓮座上に釈迦如来の種子「バク」を」刻む。 | 刻銘:「徳治二年(1307)十月 日」 |
蓮 座
線刻の内側を薄く斜に削り、浮彫の効果を出している。
平成二十一年(2009)に発見された千葉県白井市の山本家釈迦種子板碑(乾元二年 1303年)の蓮座によく似ている。
山本家釈迦種子板碑 (乾元二年 1303年)、蓮 座
山本家板碑が発見された地区は「平塚郷」と呼ばれ、後に鎌倉幕府第15代執権となる金沢貞顕(北条貞顕)が領主であった。
長福寺(ちょうふくじ)板碑群
前・後列、合わせて十三基の板碑が覆屋内に安置され、一括で市の文化財に指定されている。
板碑が発見された長福寺の南に位置する阿弥陀堂は、武蔵七党 猪俣党の庶流 岡部忠澄(六弥太)の建立と伝えている。
*JR高崎線 宮原駅西口から東武バスウェスト 「別所団地・しらかば通り」行きに乗車、「しらかば通りバス停」下車、北方向へ約300m。
(撮影:平成25年3月10日)