大霊神社 文禄四年銘 題目板碑

 大霊神社(たいれいじんじゃ)題目板碑(埼玉県秩父郡東秩父村御堂1533)

  武蔵型板碑消滅の三年前にあたる安土桃山時代 文禄四年(1595)の造立で、しかも高さ 220Cmの大型板碑。

大霊神社 題目板碑(中央)村指定文化財、安土桃山時代 文禄四年 1595年、緑泥片岩、高さ 220Cm 下幅 67Cm)

板碑群五基の内、左端に立つ板碑で、板碑消滅期の大型板碑。身部は、題目の下に「奉読誦大乗経千部成就」の刻銘がある。

武蔵型板碑は、上限年が須賀広 嘉禄三年銘(1227)板碑で、埼玉県戸田市 妙顕寺の慶長三年(1598)銘題目板碑(高さ 144Cm)を最後に板碑制作は

行われていない。本板碑の文禄四年(1595)銘は、板碑消滅の三年前にあたる末期の作品で、しかも高さが 220Cmもある大型板碑。・・・・・・・・・・・

板碑 頭部

頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。輪郭内最上部の左右に日・月を刻む。

身部、上方の刻銘 身部、下方の刻銘

身部上方は、中央に「南無妙法蓮華経」の題目、左右に「南無多寶如来」、「南無釈迦牟尼佛」を蓮華座上に刻み主題両尊(題目三尊)とする。

題目の下方、向って右に「日蓮大聖人」、左に「日朗聖人等」、題目の下、身部中央に「奉読誦大乗経千部成就」、その右に二行「本願日栄

日従檀那中」「日妙日及日然日粒」、左に二行「日正日審日相日従」「日寶妙台 文禄四年(1595)、乙未、四月八日、敬白」と刻む。・・

上記、「日栄」・「日然」・「日正」・「日審」の四名は、二十四前に造立された天正七年(1571)題目板碑にも、その名が刻まれている。・・・・・・・・・・・・・

身部、下方

この時代の刻銘は、彫りが浅く摩耗もあり、肉眼では判読しにくい。

城主上田氏が日蓮宗を奨励した結果、題目板碑の多数建立に至る。 刻銘:「文禄四年(1595)、乙未、四月八日、敬白

大霊神社(たいれいじんじゃ)千部供養 板碑群 背面

板碑群は、県道に面して立ち、境内から見れば背面を見ることになる。

 大霊神社 阿弥陀一尊種子板碑(埼玉県秩父郡東秩父村御堂1533)

  題目板碑群の後方の立つ板碑で、南北朝時代初期 建武五年(1338)の紀年銘がある。

大霊神社(たいれいじんじゃ)阿弥陀一尊種子板碑(南北朝時代初期 建武五年 1338年、緑泥片岩)

頭部山形は、ほぼ欠損する。身部は、一重線の輪郭を巻き、上方に阿弥陀の種子「キリーク」、下方に「建武五年(1338)」の紀年銘を刻む。

身部は、阿弥陀如来の種子「キリーク」を主尊とする。 刻銘:「建武五年(1338)、戊寅、七月二日

尚、建武五年(1338)は八月二十七日迄で、二十八日から「暦応元年」に改元されている。

 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑                        石仏と石塔-目次!

大霊神社(たいれいじんじゃ)千部供養 板碑群

向って左端が、文禄四年(1595)銘 題目板碑。五基とも法華経を千部唱えた記念として造立されている。

 板碑(いたび)

*東武東上線 JR八高線 小川町駅前からイーグルバス 白石車庫前行きに乗車、「御堂バス停」下車、東方向へ徒歩 約4分。

(撮影:平成24年11月12日)