大霊神社 天正十七年銘 題目板碑

 大霊神社(たいれいじんじゃ)題目板碑(埼玉県秩父郡東秩父村御堂1533)

  松山城主 上田一族の逆修・追善の為、造立されたと思われる板碑で、安土桃山時代 天正十七年(1589)の紀年銘がある。

大霊神社 題目板碑(中央)村指定文化財、安土桃山時代 天正十七年 1589年、緑泥片岩、高さ 146Cm 下幅 48Cm)

板碑群五基の内、右から二基目で一番背が低い。身部は、題目の下に「奉誦経王千部成就」の刻銘がある。

この板碑を除く四基は、題目の左右に「南無多寶如来」、「南無釈迦牟尼佛」を蓮華座上に刻み主題両尊(題目三尊)とするが、本板碑のみ左右の両尊は刻まれていない。

題目の一行隔てた左右に「宗調(俗名:上田朝直、天正十年 没)」、「蓮調(俗名:上田長則、天正十一年 没)の刻銘がある。長則は、朝直の子息で二代松山城主。

板碑 頭部

頭部山形、下に二条線、身部は一重の輪郭を巻く。輪郭内最上部の左右に日・月を刻む。

身部、上方の刻銘 身部、下方の刻銘

身部中央は、ひげ文字の題目「南無妙法蓮華経」を蓮華座上に、下方に「奉誦経王千部成就」

向って右に「南無日蓮大聖人 日代々先師 日證蓮忠浄研研理法好妙證妙印逆・・・」

更に、代々先師の右側あたりに「宗調」、その下方に「干(時)天正十七年(1589)、己丑、十月廿九日」と刻む。

また、向って左に「南無日朗等代々聖人 日恵代々先師 日解妙芳研正浄覚妙経口口妙香口・・」

更に、その左に「蓮調」、その下方に「一如院日福、願主、逆修 加読日大」と刻む。

「宗調」は、俗名 上田朝直(天正十年 1582年 没)、「蓮調」は、朝直の子息で俗名 上田長則(天正十一年 1583年 没)、長則は朝直の後継者。また、左側の

「浄覚」は上田一族の上田右京亮(天正十六年 1588年 没)で、板碑造立時点では故人となっている。浄蓮寺には、浄覚追善の為に造立された板碑が残っている。

この他、蓮忠(上田能登守)、妙芳(蓮池院殿)が上田一族という。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

但し、「宗調」・「蓮調」の文字は、字体が他と異なり、追刻の可能性が高い。

刻銘:「奉誦経王千部成就」 刻銘:「干(時)天正十七年、己丑、十月」

身部、下方

この時代の刻銘は、彫りが浅く摩耗もあり、肉眼では判読しにくい。

本板碑は、松山城主 上田一族の逆修・追善塔婆と思われる。

代々先師の右側に「宗調」(上田朝直)の刻銘

浄蓮寺を菩提寺とする熱心な日蓮宗の信者 松山城主 上田朝直は、元亀二年(1571)に「真読一千部善願成就之銘文」として、

東松山市に上田朝直 題目板碑(県指定文化財)を建立している。

大霊神社(たいれいじんじゃ)千部供養 板碑群 背面

板碑群は、県道に面して立ち、境内から見れば背面を見ることになる。

 大霊神社 文禄四年銘 題目板碑                          石仏と石塔-目次!

大霊神社(たいれいじんじゃ)千部供養 板碑群

向って右から二基目が、天正十七年(1589)銘 題目板碑。五基とも法華経を千部唱えた記念として造立されている。

 板碑(いたび)

*東武東上線 JR八高線 小川町駅前からイーグルバス 白石車庫前行きに乗車、「御堂バス停」下車、東方向へ徒歩 約4分。

(撮影:平成24年11月12日)