大興寺(だいこうじ)(埼玉県さいたま市緑区大字大門2583)
徳本上人は、江戸時代後期に念仏化道を勧めた浄土宗の僧で、供養塔は講中により建てられた。
徳本上人(とくほんしょうにん)念仏供養塔 (市指定文化財、江戸時代後期 文政四年 1821年)
徳本上人が東国各地を巡り、念仏化道を勧め、講中により建てられた供養塔。独特な書体の六字名号と花押が刻まれている。 |
尚、大興寺は真言宗智山派の寺院だが、浄土宗以外の寺院でも、このような念仏供養塔が建てられたという。
供養塔、向かって左面 | 供養塔、向かって右面 |
向かって左面は、「五十年 夢のうき世と思うへし ねても覚ても 後世を忘るな」の御詠歌が刻まれている。
右面は、「文化十四(1817)歳次 丁丑 四月朔日留錫化益、当山第十七世法印永津臨終念仏講中敬白」と刻む。
台石には、世話人、講中名が刻まれている。
大興寺(だいこうじ)来迎阿弥陀三尊板碑
来迎阿弥陀三尊板碑 (現地説明板の写真) | 板碑は、本堂前、施錠された厨子の中に祀られている |
来迎阿弥陀三尊板碑(市指定文化財、南北朝時代、緑泥片岩、高さ 102Cm 幅 約30Cm 厚さ 3Cm)
身部は、一重線の輪郭を巻く。身部上方に天蓋を刻み、その下に雲上の蓮華座で正面を向き、来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像、その下に
やや腰をかがめた観音・勢至の両脇侍が立っている。三尊とも頭光を頂き、雲は後方に流れて動きを表現する。陰刻部には金泥が残っている。
浦和(うらわ)博物館 勢至図像月待板碑(Ⅰ) 石仏と石塔-目次!
大興寺 本堂 (真言宗智山派)
*埼玉高速鉄道線 「浦和美園駅」下車、南南西方向へ 約800m。
(撮影:平成22年11月18日)