神峰山寺(かぶざんじ)観応二年銘 宝篋印塔

 神峰山寺(かぶざんじ)(大阪府高槻市市原3301-1)

  開成(かいじょう)皇子が創建した当時は、仏教の聖地として栄え七堂伽藍二十一坊を有した。現在は、新西国観音霊場の第十四番札所。

神峰山寺 宝篋印塔(南北朝時代前期 観応二年 1351年、花崗岩、高さ 249.5Cm)

塔身(後補)、金剛界四仏の種子を刻む(正面、キリーク:阿弥陀)
神峰山寺参道、勧請掛をくぐって少し歩くと、左手に安置されている 塔身(後補)、金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就)

笠は、下二段、上六段、隅飾は三弧輪郭つきで内は無地、やや外傾する

塔身(後補)、金剛界四仏の種子を刻む(背面、ウーン:阿閦如来)
塔身(後補)、金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生如来) 南北朝時代 観応二年(1351)在銘の宝篋印塔で、塔身と相輪は後補

基 礎 (背面)

基礎上端は複弁反花、背面は無地で、当初の刻銘が残る

刻銘:「妙法禅寺、羅漢講衆、奉起立之、観応二年(1351)辛卯、十一月十五日敬白

左面刻銘(後銘)「功徳主、大阪北堀江上通三、米倉米吉」 右面刻銘(後銘)「旧明石藩士、市川正儀」

基礎、左右両面と正面は、輪郭を巻き内に格狭間を作る。格狭間内に銘文を刻むが、後に刻まれたもの。

基礎正面の刻銘

「妙蓮華院金剛、比丘恵正行者、証大菩提之塔」

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勧請掛 (かんじょうがけ)

縄に樒(しきみ)を結びつけたたもので、聖地との境界を表す。その長短で米や農作物の価格を占ったといわれる

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*JR東海道本線 高槻駅北口から市バス 原大橋行きに乗車、「神峰山口バス停」下車北東方向へ徒歩 約20分。

(撮影:平成22年9月21日)