下止々呂美(しもとどろみ)宝篋印塔

 下止々呂美(しもとどろみ)薬師堂宝篋印塔(大阪府箕面市下止々呂美329)

  止々呂美は箕面市の北側で、豊能町の手前に位置する。南朝の紀年銘を持つ美しい大型宝篋印塔。

下止々呂美薬師堂 宝篋印塔(府指定文化財、南北朝時代 正平七年 1352年、花崗岩、高さ 182Cm)

塔身、月輪内に顕教四仏の種子を薬研彫する(東面、バク:釈迦如来)
宝篋印塔は、薬師堂に入る石段の左手に立っている 塔身、月輪内に顕教四仏の種子を薬研彫する(南面、バイ:薬師如来)

塔身、顕教四仏の各面の方向は、通常 「バク(釈迦)」が南面、「バイ(薬師)」が東面、「ユ(弥勒)」が北面、「キリーク(阿弥陀)」が西面に位置する。

笠の段形は下二段、上六段、隅飾は三弧輪郭付で内に蕨手文(わらびてもん)を浮彫にしている

塔身、月輪内に顕教四仏の種子を薬研彫する(西面、サ:観音菩薩)
塔身、月輪内に顕教四仏の種子を刻む(北面、キリーク:阿弥陀如来) 石塔は、笠隅飾りの三弧、蕨手文が珍しく、大型で美しい

塔身、顕教四仏の「ユ(弥勒)」に代わって、「サ(観音)」が刻まれており、各面の方向も変則的になっている。

基   礎

基礎上端は複弁の反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。(南面を除く三面)

相輪は下から、伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠で、九輪上部の折損箇所を修理する。南北朝時代(正平七年 1352年)南朝年号の在銘宝篋印塔

基礎 南面

南面(素面)に三行、「止々呂岐、沙汰人百姓、正平七年(1352)二月」の刻銘がある

庚申塔(江戸時代中期 元禄十六年 1703年、花崗岩)、境内にあり、彫りくぼめの中に大きく「南無青面金剛」と刻む

下止々呂美 薬師堂

 開成皇子(かいじょうおうじ)墓 宝篋印塔                        石仏と石塔-目次!

下止々呂美多尊石仏 合掌石仏、数珠を持ち胸前で合掌する

多尊石仏は、表面を三段に分け、上段に大きく三尊、中段と下段に合掌する尊像を各六体づつ刻んでいる。

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*阪急池田駅前 西乗り場より 阪急バス「牧行き」に乗車、「下止々呂美バス停」下車 北方向へ徒歩 6分。または、地下鉄 千里中央駅前から阪急バス 箕面森町近隣公園行きに乗車、「止々呂美南バス停」から北方向へ、徒歩5分。

(撮影:平成22年9月17日)