全興寺墓地(せんこうじぼち)名号板碑

 全興寺墓地(せんこうじぼち)(大阪市平野区平野宮町1丁目)

 全興寺墓地 応安二年銘 名号板碑

全興寺墓地名号板碑(南北朝時代中期 応安二年 1369年、緑泥片岩、地上高 143Cm 下幅 48Cm

板碑の下部は埋め込まれている。身部は一重線の輪郭を巻き、蓮実を刻んだ蓮華座上に「南無阿弥陀仏」の六字名号を大きく刻む

墓地は、杭全神社西側のマンション南端に隣接する。墓地の入口には「長宝寺・末吉家・全興寺 墓地」と刻まれている。全興寺は、ここから離れた平野本町4丁目にある。

板碑 上部

頭部山形、その下に二段の切込をつくる。身部は一重線の輪郭を巻く

名号の左右に「當寺前住音・・・比丘専戒上人宗聖」「応安二(1369)口口年・・・・六月入滅・・・道」の銘文を刻む

 全興寺墓地 至徳元年銘 名号板碑

 全興寺墓地(せんこうじぼち)(大阪市平野区平野宮町1丁目)

全興寺墓地名号板碑(南北朝時代後期 至徳元年 1384年、緑泥片岩、地上高 109Cm 下幅 44.8Cm

板碑の下部は埋め込まれている。身部は一重線の輪郭を巻き、蓮実を刻んだ蓮華座上に「南無阿弥陀仏」の六字名号を大きく刻む

板碑 上部

山形の上部を欠損、下に二条線を刻む。身部は、一重線の輪郭を巻く。

名号の左右に「・・・・・・・禅定門口周忌奉造立」「至徳元(1384)、甲子、十月口五日・・・・孝子・・・家之」の銘文を刻む

壇上、左右両端に置かれた二基の板碑

板碑は、石材などから見て、阿波(徳島)あたりから、持ち込まれたものではないかと思われる

 正俊寺(しょうしゅんじ)十三重石塔                         石仏と石塔-目次!

杭全神社(くまたじんじゃ) 拝殿

墓地の東側に隣接して杭全神社がある

 板碑(いたび)

*JR関西本線「平野駅」下車、東南方向へ 約500m。

(撮影:平成22年9月29日)