能勢町の石造美術(2)今西墓地六地蔵板碑

 今西共同墓地(大阪府豊能郡能勢町今西)

 六地蔵板碑と弥陀一尊板碑が墓地の入口に造立されている。六体そろった地蔵板碑は他に例をみない

今西墓地六地蔵板碑(南北朝時代中期、花崗岩、高さ 約120Cm)

向かって左端は弥陀一尊板碑(南北朝時代中期、花崗岩、総高 98Cm)

向かって左端の六地蔵板碑:如心が自身の逆修供養のため造立した。舟形光背を彫りくぼめ、蓮華座の上に立ち合掌する地蔵を刻む

像の下に「右志者為、如心逆修、奉造立供、養之処也、如心、敬白」の銘文を刻む

六地蔵板碑はすべて、道智・如心というこの地方の夫妻が、両親や自身の逆修供養のため六地蔵板碑を造立した

  

向かって左から二番目の板碑:亡き二親のため道智が造立した

銘文:「右志者為、先考線妣、奉造立供、養之処也、孝子、道智、敬白」

左から三番目の板碑:亡き両親のため如心が造立した。(銘文:「右志者為、先考先妣、奉造立供、養之処也、孝子、如心、敬白」)

  

向かって左から四番目の六地蔵板碑:道智が自身の逆修供養のため造立した。板碑上部に錫杖を持った地蔵を刻む

銘文:「右志者為、道智逆修、奉造立供、養之処也、道智、敬白」

向かって左から五番目の六地蔵板碑:七世の父母のため道智・如心が造立した。塔身上部に錫杖を持った地蔵を刻む

銘文:「右志者為、七世父母、奉造立供、養之処也、如心、敬白」

  

右端の六地蔵板碑(板碑下部に応安二年造立の刻銘がある。写真中央)

「右志者、為法界衆生、奉造立供養之処也、応安二年(1369)酉六月廿四日、道智、如心、敬白」との刻銘があり応安二年の造立と知れる

今西共同墓地に入る小道に咲いていた真っ赤な彼岸花

 能勢町の石造美術(3) 観音寺宝篋印塔                    石仏と石塔-目次!

弥陀一尊板碑(南北朝時代中期、総高 98Cm)は、先端を山形に切り上部に定印の阿弥陀仏を刻む。六地蔵板碑が造られる前に造立された

 板碑(いたび)

*能勢電鉄 山下駅から阪急バス 能勢町宿野方面行きバスに乗車「森上バス停」下車、徒歩約30分。岐尼(きね)小学校西の山道を頂上近くまで登る。

(撮影:平成19年9月29日)