森屋墓地(もりやぼち)五輪塔 (寄手塚)

 森屋墓地(もりやぼち)五輪塔(寄手塚)(大阪府南河内郡千早赤阪村森屋)

  元弘1~3年(1331~33)の千早赤阪の戦で、戦死した鎌倉勢:寄手(よせて)の霊を弔う為、楠木正成が建立したと伝えている。

森屋墓地 五輪塔(寄手塚)(府指定文化財、鎌倉時代後期、角閃石黒雲母石英閃緑岩、高さ 182Cm)

風・空輪、両輪とも他の輪に比較して大きくバランスを欠く
西楽寺前交差点を西側に進めば、寄手塚・身方塚の案内に出会う

火輪軒口は厚く、緩やかに反る

五輪塔の石材は、金剛山付近から産出する角閃石黒雲母石英閃緑岩(かくせんせきくろうんもせきえいせんりょくがん)が用いられている

水輪、金剛界四仏の種子を刻む(正面、キリーク:阿弥陀如来) 水輪、金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就)

水輪、球形のゴムボールを上下から、ゆっくり押した形の楕円形

元弘1~3年(1331~33)の千早赤阪の戦で、戦死した鎌倉勢:寄手(よせて)の霊を弔う為、楠木正成が建立したと伝えている

通常、五輪塔の各輪は、四門の梵字が刻まれるか無地のものがほとんどだが、水輪のみに金剛界四仏の種子を刻むのは珍しい

水輪、金剛界四仏の種子を刻む(背面、ウーン:阿閦如来) 水輪、金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生如来)

地 輪

方形の地輪は、四面とも無地で刻銘は刻まれていない

基 壇 部

石組で作られた井戸様の穴上に、切石二枚を置き、その上に据えられている

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風・空輪の大きさが異様に目立つ五輪塔で、寄手塚(よせてづか)と呼ばれ、鎌倉時代後期の造立と考えられている

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*近鉄長野線 富田林駅より金剛バス森屋方面行きバス乗車 「森屋西口バス停」下車 西方向へ徒歩 約8分。

(撮影:平成22年9月29日)