高瀬(たかせ)石窟仏(大分県大分市高瀬910-1)
大分川支流の支流、七瀬川右岸にある数少ない石窟形式の磨崖仏で国の史跡に指定されている
高瀬石窟仏(国史跡、平安時代後期、凝灰岩、石窟は高さ 180Cm 幅 440Cm 奥行 150Cm)
胎蔵界大日如来を中心とする五像で、左から深沙大将(じんじゃたいしょう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、大日如来、如意輪観音、馬頭観音
深沙大将(じんじゃたいしょう)像
深沙大将は、中国、唐の玄奘(げんじょう:三蔵法師)が仏典を求めインド(天竺)への途上砂漠に現れて守護した大神といわれる
深沙大将(じんじゃたいしょう)(国史跡、像高 138Cm) | 腹部には少女の顔や眼・眉が描かれている |
腹部の人面は内に優しい気持ちを持っていることを表現したもの(現地説明板)
中尊の大日如来以外の深沙大将を含む四尊は半肉彫りされ、朱(ベンガラ)・黄土・緑土・白土などで彩色されている
深沙大将の首には髑髏(どくろ)の首飾り、両脚と左手には三匹の蛇をからませている
大威徳明王(だいいとくみょうおう)像
大威徳明王は、密教の五大明王の一尊で、ヤマ(閻魔)を降伏する尊(サンスクリッド語の「ヤーマンタカ」)、戦勝の本尊でもある
大威徳明王(だいいとくみょうおう)(国史跡、平安時代後期、像高 123Cm) 六面六臂(ろっぴ)六足で牛にまたがる |
胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)像
胎蔵界大日如来(国史跡、平安時代後期、凝灰岩、像高 119Cm)
舟形の光背を背に方形の台座上で結跏趺座し、定印を結ぶ。他の四尊と異なり丸彫りに近い厚肉彫りされる |
如意輪観音(にょいりんかんのん)像
如意輪観音(にょいりんかんのん)は、如意(宝珠)と(宝)輪の力をあわせもつ観音で、平安時代以降に本格的に信仰された
如意輪観音(国史跡、平安時代後期、凝灰岩、像高 100Cm)
一面六臂の如意輪観音(にょいりんかんのん)坐像 | 三面六臂で憤怒相を表す馬頭観音坐像 |
馬頭観音(ばとうかんのん)像
馬頭観音は、馬が草を食べるように、衆生の煩悩を食いつくして救済するという。六観音の一で馬頭明王とも呼ばれる
馬頭観音(ばとうかんのん)坐像(国史跡、平安時代後期、凝灰岩、像高 92Cm)
胎蔵界大日如来の舟形光背。朱色で唐草文様を描く | ||
彩色が鮮やかな馬頭観音の台座 | 深沙大将の頭部は、怒髪の憤怒相(ふんぬそう) |
高瀬(たかせ)石窟 外観
当地が属した稙田庄(わさだのしょう)は、12世紀前半、藤原頼長の所属となり、頼長が保元の乱で死んだ後、
後白河院領になった為、磨崖仏の造立は、中央の関わりがあったとも考えられている
* JR日豊本線 大分駅前から大分バス トキハわさだタウン行きに乗車、終点下車 徒歩 約20分
(撮影:平成20年11月17日)