長木家(ちょうぎけ)宝塔(国東塔)(大分県国東市国東町東堅来字鳴)
「鳴(なる)の国東塔」とも呼ばれる。在銘の国東塔(くにさきとう)では、当初の残存部が最大の高さを誇る名品。
長木家宝塔(国東塔)(重要文化財、鎌倉時代後期 元亨元年 1321年、安山岩、高さ 397Cm)
笠は、塔身軸部の径と比べ幅が狭い。露盤は、相輪と一石で刻まれる | ||
石塔は、長木家墓地の左奥に堂々たる姿で立っている | 刻銘:「去来生死本」「無跡七十餘」「年属夢中」(下に続く) |
塔身軸部の周囲に十五行にわたって刻銘がある
刻銘(上より続く):「這ケ是誰」「真面目□成」「地水火風空」「干時」「元亨元年(1322)歳次辛酉」
刻銘(上より続く):「小春十八日」「左衛門尉」「紀永貞」「起立之」「大工僧」「尊□」「敬白」
宝塔は、紀永貞(きのながさだ)が自己の生前供養(逆修供養)のため造立した。鎌倉武士の気風そのものの堂々たる作風 |
蓮華座 ・ 基礎
基礎上端は複弁反花、側面は四面とも三区に分け、内に格狭間を入れる。基礎と塔身の間に国東塔の特徴である蓮華座(単弁二重葺)を入れる
相輪上端の火焔付宝珠と単弁の請花 | ||
宝珠は火焔付、九輪の上に心柱頭を出す等、国東塔方式の相輪 | 露盤側面は二区堅連子、その上に蓮華座と反花からなる請花をおく |
基 壇
基壇は二段で、切石により作られ、上に側面三区 内格狭間の基礎がのる
長木家(ちょうぎけ)宝塔(国東塔)(重要文化財、鎌倉時代後期)
在銘の国東塔では最大で、その姿は、独特の雰囲気がある。左後方は鳴(なる)板碑
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*JR大分駅前又は杵築バスターミナルより大分交通バス「国東行き」乗車、終点国東で乗り換え、竹田津港か伊美もしくは岩戸寺行きに乗車「東堅来バス停」下車、西方向へ 徒歩約15分
(撮影:平成20年11月18日)