鳴(なる)文殊種子板碑(長木家板碑)

 鳴(なる)文殊種子板碑(長木家板碑)(大分県国東市国東町東堅来字鳴)

   長木家墓地の板碑で、紀永貞(きのながさだ)が父 西実の菩提を弔うため建立した。

鳴(なる)文殊種子板碑(県指定文化財、鎌倉時代後期 元亨二年 1322年、安山岩、高さ 338Cm 下幅 82Cm)

頭部山形で尖り、下に二段の切込、身部は一段 深くなる。身部上方に文殊菩薩の種子「マン」を薬研彫りし、下方に二段の銘文を刻む

板碑 頭部

頭部山形は鋭くとがり、下に二段の切込をつくる。切込は両側面に及ぶ。額部は両端に面取りを施し、突出する。

見事な字体で刻まれた文殊菩薩の種子「マン」 身部下方の刻銘:上段は、心地観経の偈を、下段に長文の願文を刻む

刻銘 上段、心地観経の偈(げ)を刻む

偈(げ):「文殊師利大聖尊(もんじゅしりだいしょうそん)」「三世諸仏以為母(さんぜしょぶついいも)

「十方如来初発心(じっぽうにょらいしょほつしん)」「皆是文殊教化力(かいぜもんじゅきょうげりき)

[ 文殊師利大聖尊よ、三世の諸仏ををもって母となす。十方の如来が初めて発心するは、皆これ文殊の教化の力なり ]

身部 下段の刻銘(願文):「右慈父覚霊西実、准生死之習、去以」「元応第三天首春中之九日、惣以閑寂之心」

「以降相当大聖断罪之日間、造立石仏」「述覚母種子之供養、奉者後菩提之心」「虚述也良因、普及一切矣」

「元亨第二天(1322)歳次壬戌八月六日」「大願主長木右衛門尉 紀永貞 敬白」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

右慈父覚霊西実、生死の習に准じ、去る元応第三天(1321)首春中之九日(一月十九日か)を以てたちまち円寂に帰す、之以降大聖断罪之日(文殊菩薩

忌日)に相当の間、石仏を造立し、覚母種子(マン)の供養を述べ、彼の菩提の処に奉り、良因を普く一切に及ぼさん(「大分の石造美術」 望月友善 著、)

 鳴(なる)阿弥陀種子板碑 二基 (長木家板碑)                   石仏と石塔-目次!

後部の成形が残っている大きい板碑は総高338Cmあり、西日本最大の板碑という。左後方は長木家宝塔

 板碑(いたび)

*JR大分駅前又は杵築バスターミナルより大分交通バス「国東行き」乗車、終点国東で乗り換え、竹田津港か伊美もしくは岩戸寺行きに乗車「東堅来バス停」下車、西方向へ 徒歩約15分

(撮影:平成20年11月18日)