釜ケ迫(かまがさこ)国東塔(弁分宝塔)

 釜ケ迫(かまがさこ)国東塔(大分県国東市安岐町大字朝来小字宮原)

  両親の菩提を弔う為、紀氏兄妹が造立したもので、南北朝時代初期 建武二年の銘がある。

釜ケ迫国東塔(重要文化財、南北朝時代初期 建武二年 1335年、安山岩、高さ 255Cm)

塔身、四方に四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀)
南北朝時代が始まった頃の作品、優美で美しい 塔身、四方に四仏の種子を刻む(サ:観音)

国東塔は、鎌倉時代中期までは、如法経を奉納し、伽藍安穏仏法興隆を祈念するために建立されたが、鎌倉時代末期

に至っては武士による国土安穏、武家一族の安泰を目的に建立されるようになった(現地説明板)・・・・・・・・・・・・・・・・・

笠は、軒口が厚く、両端で強く反っている

塔身、四方に四仏を刻む(バイ:薬師如来)
塔身、四方に四仏を刻む(バク:釈迦如来) 笠・露盤・その上の反花までを一石でつくる

反花 ・ 請花

基礎と塔身の間には、国東塔の約束どおり反花と請花を入れる。

釜ケ迫塔の特徴は、反花の上に連珠文をめぐらし、その上の単弁反花に縦の筋を入れている。

塔身の刻銘

「キリーク(阿弥陀の種子)」の左右に刻銘がある。

塔身の刻銘:「大願主」「紀友房 同守房」「同中子 同乙子」

「右為慈父慈母所」「奉造立如件」「建武二年(1335)乙亥二月十二日」「各敬白」

基  礎

基礎側面は、二区に分かちそれぞれに格狭間を入れる

相輪上端の火焔付宝珠と単弁の請花
宝珠・上下請花部・九輪の上に心柱頭を出す等、国東式相輪 露盤側面は、輪郭を巻き、内に格狭間を入れ、その上に反花と蓮華座をおく

基  壇

基壇は二段で、その上に側面二区格狭間入りの基礎をのせる

 護聖寺(ごしょうじ)板碑 (二基)                         石仏と石塔-目次!

釜ケ迫(かまがさこ)国東塔(重要文化財、南北朝時代初期)

国東塔周りの小さい空間には、小石塔や小石仏、小五輪塔が取巻いている

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*杵築バスターミナルより大分交通バス「安岐行き」乗車、終点安岐で乗り換え、諸田行きに乗車「弁分バス停」下車、 徒歩(バスの本数が少ない)。私の場合は、国東市サイクリングターミナル(国東行きで「黒津崎バス停」下車、徒歩5分)で宿泊し、自転車を借りて行った。

(撮影:平成20年11月19日)