堂応寺(どうおうじ)宝篋印塔(岡山県倉敷市真備町辻田字堂応寺)
堂応寺宝篋印塔(重要文化財、鎌倉時代後期 正和三年 1314年、花崗岩、高さ 326Cm)
塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(ウーン:阿閦如来) | ||
堂応寺の集落、吉田酒店の古い看板があり、北へ少し登るとある | 塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(タラーク:宝生如来) |
この地域は中世、薗東荘(そのひがしのしょう)と呼ばれ、鎌倉時代は皇室領であったが、貞和元年(1345)に京都・長福寺領として寄進される
笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付で内は無地
塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(キリーク:阿弥陀) | ||
塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(アク:不空成就) | 完存する大型宝篋印塔は、基壇を置かず地上に直接立っている |
基礎上端は二段、側面は四面とも無地で、北面に鎌倉時代後期 正和三年(1314)の紀年銘がある
刻銘:「正和三年(1314)刁甲七月十二日」「勧進聖人覚円起立之」
相輪は高さ104Cm、下から伏鉢・複弁請花・九輪・単弁請花・宝珠 | 隅飾は二弧輪郭付で内は無地、ほぼ直立して立つ |
岡山県下在銘では最大の宝篋印塔、やや洗練さに欠くが、存在感があり鎌倉時代後期の岡山を代表する作品
ここは、かって堂応寺(導応寺)と呼ばれた寺院があった場所で小薬師堂が残っている
宝篋印塔紀年順 | 香林寺(こうりんじ)宝篋印塔(鎌倉時代後期) | 宝篋印塔-紀年順-目次 |
*JR伯備線「清音駅」下車、。北西方向へ約2.5Km。
(撮影:平成21年2月7日)