柳生の石仏と石塔-2

ほうそう地蔵六地蔵

 ほうそう地蔵・六地蔵 (奈良市柳生町)

ほうそう地蔵は、室町初期の徳政令(借金棒引き)が刻まれた銘文があるので有名

ほうそう地蔵の東面に刻まれた阿弥陀仏と五輪塔

室町時代の銘が刻まれている。

ほうそう地蔵左側の双石仏
ほうそう地蔵(以前、顔面が剥落していて疱瘡を患っているように見えた) 右下に彫られた徳政令文(史跡)。正長元年(1428)以前の借金は取り消す

正長元年柳生徳政碑(史跡)「正長元年ヨリ/サキ者カンヘ四カン/カウニヲ井メアル/ヘカラス」と刻む

錫杖と宝珠を持つほうそう地蔵(鎌倉時代後期 元応元年 1319年の銘)の正面全景

花崗岩に刻まれ、石の大きさは高さ 300Cm、幅 330Cm,奥行き 400Cm。地蔵の像高は 110Cm

村からほうそう地蔵に行く手前の崖に彫られた六地蔵
ほうそう地蔵の東面に刻まれた阿弥陀仏(室町時代の銘) 六地蔵(室町時代 明応十年 1501年の銘)

立野寺

 立野寺(奈良市柳生町1378)

立野寺地蔵石仏(江戸時代初期、高さ 73Cm)

五輪塔(江戸時代初期、花崗岩、高さ 154Cm) 十三重石塔(南北朝末〜室町時代、花崗岩、高さ 382Cm)

十三重石塔は、塔身に四仏を刻む

芳徳寺

 芳徳寺(ほうとくじ)(奈良市柳生下町445)

 柳生宗矩が、寛政十五年(1628)に父 石舟斉の供養のため創建した。柳生家代々の菩提所

六地蔵(柳生家代々の墓の入口にある)

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柳生家代々の墓石

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*芳徳寺へは、JR・近鉄奈良駅より柳生・邑地中村行きバス50分。「柳生」下車 徒歩15分

(撮影:平成19年3月25日)