天照寺(てんしょうじ)十三重石塔 二基

 天照寺(てんしょうじ)〔奈良県吉野郡東吉野村大字小(おむら)754〕

  天照寺は、鎌倉時代の弘安年間にこの地方を治めていた小川氏の菩提寺として創建された。創建時は真言宗、江戸前期(1644)の再興で曹洞宗に改宗した

天照寺(てんしょうじ)十三重石塔 二基 (安山岩、高さ 約 400Cm)

  天照寺十三重石塔 北塔

天照寺十三重石塔 北塔(鎌倉時代後期、安山岩、高さ 約400Cm) 相輪は層塔型で、下から伏鉢・請花・九輪・水煙・竜車・宝珠

屋根は軒裏に薄く一重の垂木型をつくり、軒反(のきぞり)は鎌倉時代後期風で力強く反っている

初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(正面、キリーク:阿弥陀)
初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(北面、アク:不空成就) 十三重石塔は、完存する鎌倉時代後期の作品

天照寺の古塔群は、寺院の西側一段低くなった石垣の下に立っている。入口に「史跡 小川城主之墓」と彫られた石碑が立っている

初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(背面、ウーン:阿閦如来) 初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(南面、タラーク:宝生如来)

  天照寺十三重石塔 南塔

天照寺十三重石塔 南塔(南北朝時代中期、安山岩、高さ 約400Cm) 相輪は層塔型で、下から伏鉢・請花・九輪・水煙・竜車・宝珠

屋根は軒裏に一重の垂木型をつくる。軒反(のきぞり)は、北塔と比べ軒隅でより反っており、時代の流れを感じる

初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(正面、キリーク:阿弥陀)
初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(北面、アク:不空成就) 十三重石塔は、完存する南北朝時代中期の作品

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初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(背面、ウーン:阿閦如来) 初層軸部、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(南面、タラーク:宝生如来)

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天照寺 石塔群(小川城主の墓)

小川城主 小川弘光は、南朝が持っていた神璽(しんじ)(皇位のしるしとして歴代天皇が受け継ぐ三種の神器の一つ)を長禄二年(1458)に北朝に奉還した人物

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*近鉄大阪線 榛原駅前から奈良交通バス 大又行きに乗車、「小村バス停」下車、東へ約 400m。

(撮影:平成21年5月)