談山神社(たんざんじんじゃ)十三重石塔(奈良県桜井市多武峯)
十三重石塔は伊派の石大工 井行元(いのゆきもと)の作品で、藤原不比等(淡海公)の墓と伝える
談山神社十三重石塔(重要美術品、鎌倉時代後期 永仁六年 1298年、花崗岩、高さ 約450Cm)
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塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(タラーク:宝生) | ||
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十三重石塔は淡海公(藤原不比等)の墓と伝える | 塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(ウーン:阿シュク) |
基礎二面に「永仁六年(1298)戊戌三、勧進六八願衆」「大工井行元」の刻銘がある
弥陀の四十八願に因む六八願衆という阿弥陀信仰の結衆が、造立した。井行元は、伊派石大工の一人
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塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(アク:不空成就) | ||
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塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(キリーク:阿弥陀) | 背面から見ると、十三重石塔はかなり破損している |
各層の屋根は、裏に薄く一重の垂木型をつくる。軒反は、鎌倉時代後期の様式をよく伝えている
*奈良交通バス「談山神社バス停」下車、バス停から東側の階段を下りて談山神社に行く道の階段を降りきった所に十三重石塔への方向案内が立っている
談山神社西門石垣の上にある鎌倉時代中期の弥勒仏
談山神社弥勒石仏(鎌倉時代中期 文永三年 1266年、花崗岩、高さ 150Cm 幅79Cm 奥行き 37Cm)
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複弁反花座の上に複弁蓮座、船形光背をつくり、右手 施無畏印・左手 蝕地印の弥勒を一石で彫り出す |
光背面左右に「文永三年(1266)八月八日奉造立」「大勧進正延大工藤井延清」の刻銘がある
青面金剛(庚申)像(江戸時代、花崗岩、高さ 64.5Cm)
弥勒石仏より談山神社側の石垣上にある
ここは、旧 多武峯妙楽寺の西門跡地、中世より明治元年まで女人の立ち入りを禁じた結界地であった
廃仏毀釈により妙楽寺は談山神社となり「女人禁制」も解かれた
層塔紀年順 | ![]() |
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*近鉄「桜井駅」より、奈良交通バス 談山神社行き乗車、「談山神社バス停」下車。談山神社前の東西の道を西方向行くと西門の土手上に安置されている
(撮影:平成19年5月20日、平成21年2月5日)