輿山往生院(こしやまおうじょういん)宝篋印塔

 輿山往生院(こしやまおうじょういん)(奈良県生駒市有里町575-2)

  往生院は、行基の遺体を火葬した地として伝えられている。宝篋印塔は、本格的なものでは最古の紀年銘を持つ

宝篋印塔(重要文化財、鎌倉時代中期 正元元年 1259年銘、花崗岩、高さ 205Cm)

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(南面、タラーク:宝生)
関西様式の宝篋印塔では最古の紀年銘をもつ名塔 塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(西面、キリーク:阿弥陀)

笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は軒と区別せずのべ作りとし、一弧直立の馬耳型の古式とする

塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(北面、アク:不空成就)
塔身、月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫りする(東面、ウーン:阿閦如来) 基礎に、釈迦入滅後の年数を刻み、弥勒の下生を願って造立された

基礎上端は二段、側面は無地で南面と東面に刻銘がある

刻銘:「南無口口導師弥勒仏、釈迦入滅一千八百六十七年、正元ゝ年(1259)十月日、勧進口口口口

五輪卒塔婆(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 228Cm、幅31Cm)、西面の地輪上部に阿弥陀三尊の種子を刻む

五輪塔(鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 162Cm)

五輪塔は、無縁墓地の頂上にたつ。火輪部は別物を使用しているという

  輿山墓地(こしやまぼち)十三仏舟形石碑(室町時代後期)

輿山墓地(こしやまぼち)十三仏舟形石碑 (室町時代後期、花崗岩、高さ 111Cm)

上部は、宝形造屋根型の天蓋(てんがい)を刻み、その下に三列五段に、十三仏の種子を蓮華座上月輪内に刻んでいる。下部は、彫りこみを作り、阿弥陀と

地蔵の坐像を半肉彫りしている。左右の束に「西念逆修」「妙性逆修」の刻銘がある。夫婦の逆修供養碑である。彫刻が美しい。この石碑は、宝篋印塔から

北方に下った墓の区画にある。同じ高さ位の墓石のすぐ後にあり、分かりにくい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  輿山墓地(こしやまぼち)六字名号板碑(桃山時代)

名号板碑(桃山時代 天正十三年 1585年、花崗岩、高さ 143Cm)

南の入口近くにある板碑は、頭部に阿弥陀三尊の種子、身部は輪郭を巻き中央に蓮華座上に南無阿弥陀仏

身部の右に「萩原十五日念仏人数五十一人敬白」、左に「天正十三年乙酉三月吉日六斉廿六人」と刻んでいる

江戸時代中期の明和四年(1767)の銘がある石仏

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往生院本堂

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*近鉄生駒線「南生駒駅」下車、北西方向に徒歩約15分

(写真:平成19年3月21日、平成20年7月11日、平成20年8月5日)