額安寺(がくあんじ)(奈良県大和郡山市額田部寺町36)
基礎に刻まれている 「大工 大蔵安清」は、関東形式を育てた 大蔵派 最初の人物で、塔身の輪郭や笠の二区露盤等に関東形式が見られる
額安寺宝篋印塔(市指定文化財、鎌倉時代中期 文応元年 1260年、花崗岩、高さ 284Cm)
塔身、二重輪郭を巻き、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(北面、アク) | ||
以前、蓮池の中島にあったが、現在は額安寺境内に移されている | 塔身、二重輪郭を巻き、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(東面、ウーン) |
塔身は二重に輪郭をとり、月輪内に金剛界四仏の種子、北面:アク(不空成就)、東面:ウーン(阿閦如来)、南面:タラーク(宝生如来)、西面:キリーク(阿弥陀)を薬研彫りする
笠の段形は、下三段、上は六段と二区格狭間の露盤からなり、隅飾は 直立し やや小さく一弧で無地
塔身、二重輪郭を巻き、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(南面、タラーク) | ||
塔身、二重輪郭を巻き、月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(西面、キリーク) | 宝篋印塔は、全国で三番目に古い紀年銘をもつ 大蔵派最初の作品 |
基礎は四石でつくられ、上端は別石で三段、側面は各面を二区に分け内に格狭間をつくる。北面の格狭間二つに五行の刻銘がある
刻銘:「文応元年(1260)、十月十五日、願主永弘」「大工大蔵、安清」
笠の最上段は二区に分け、各々内に格狭間を入れ露盤とする。相輪は、下から伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠。格調の高い作品である |
中島にあった宝篋印塔は平成21年3月18日、額安寺境内へ移築された。
基礎、向かって左側、格狭間内の刻銘:「大工大蔵、安清」 | 右側格狭間内の刻銘:「文応元年、十月十五日、願主永弘」 |
基礎の刻銘
基礎に刻まれている 「大工大蔵安清」は、現在知られる大蔵派 最初の人物で、この大蔵派石大工の系統が関東に行き、活躍する |
門前 東方にある蓮池の中島(写真、左)は忍性塚と呼ばれ、この島の中央に宝篋印塔が祀られていた(写真 右)が、平成21年3月18日、額安寺境内へ移築された。
額安寺本堂
額安寺は、聖徳太子が「熊凝(くまごり)の精舎」を建て、叔母にあたる推古天皇がこの精舎に「額安寺」の寺号を賜ったと伝えられている
額安寺の根本本尊は日本最古の虚空蔵菩薩(重文、奈良~平安時代初期)として有名である
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* 近鉄「平端駅」下車、徒歩15分。平成19年2月11日に撮影したとき、蓮池の中島にあった宝篋印塔は、今回(平成21年7月4日)行った時には、額安寺境内に移されていた。
(写真:平成21年7月4日、平成19年2月11日:中島の宝篋印塔)