額安寺(がくあんじ)(奈良県大和郡山市額田部寺町36)
額安寺から北へ約300mの所に額安寺の古い墓地があり五輪塔群がある。通称「鎌倉墓(かまくらばか)」と呼ばれている
額安寺(がくあんじ)五輪塔群(重要文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 281〜111Cm)
左端の大きな五輪塔から右に第1〜第8塔、八基全て重要文化財
額安寺(がくあんじ)五輪塔 第一塔(忍性 墓)
額安寺五輪塔 第一塔(重文、鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 281Cm、西側南端)
風・空輪、空輪は宝珠の形 | ||
一番大きなこの石塔は、西大寺の僧 忍性の墓で完存している | 火輪、軒口は厚く軒反は力強い |
昭和57年(1982)の解体修理の際に、この五輪塔の地下より銅製の骨臓器(こつぞうき)を初め多数の遺物が出土し、出土品(五輪塔納置品)は重要文化財に指定されている
水輪、やや押しつぶされたような横張りの球形 | 地輪、四面とも無地で刻銘はない。切石の基壇上に安置する。 |
出土の骨臓器には銘文が刻まれていて、西大寺の高僧 忍性(にんしょう)の来歴と、その遺骨を鎌倉極楽寺・生駒竹林寺・額安寺の三寺に分骨したことを伝えている。
額安寺五輪塔 、向かって左から右方向に 第一塔〜第六塔
額安寺(がくあんじ)五輪塔 第二塔(善願上人 塔)
額安寺五輪塔 第二塔(重要文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 209Cm、、左から2基目)、繰形座上に安置されている |
第二塔は、善願上人塔と伝えられ、この五輪塔の下からも瀬戸焼の骨蔵器が出土している
重文の五輪塔が八基並んだ風景は、まことに壮観である
額安寺は、鎌倉時代に西大寺の高僧 忍性により復興されたが、後に兵火により講堂(現本堂)一宇を残すのみになっている
額安寺(がくあんじ)五輪塔 第三塔
額安寺五輪塔 第三塔 (重要文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、火輪上までの高さ 142Cm)、空・風輪は後補 |
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* 近鉄「平端駅」下車、徒歩15分。重要文化財 14 建造物V(毎日新聞社)の五輪塔の項目を流し見していたら、なんと8基もの五輪塔があった。おどろいて、さっそく行ってみた。五輪塔は、額安寺にはなかった。地元の人にたずねて、寺院から北へ約300m歩いた額安寺の古い墓地にあることが分かった。鎌倉坂と呼ばれる坂の西側広場に五輪塔群はあった。
(撮影:平成19年2月11日、平成21年7月4日)