滝坂の道は春日山と高円山の間の谷川沿いに奈良の街と柳生を結ぶ近道として開かれた道で「柳生街道」と呼ばれる。
(奈良県奈良市高畑町滝坂道)
中央に弥勒菩薩、左右に地蔵菩薩を配した三尊仏。右上の地蔵菩薩は室町時代に追刻されたもの
滝坂弥勒地蔵磨崖仏(朝日観音)(鎌倉時代中期 文永二年 1265年、花崗岩、中尊像高 233Cm)
弥勒如来磨崖仏(鎌倉中期、文永二年 1265年、像高 233Cm) | 地蔵磨崖仏(室町初期)、右手を上げ左手は胸前の矢田型地蔵。 |
中尊は、蓮華座上に二重光背型を薄く彫りくぼめ、右手を下げ、左手は胸前に上げる弥勒如来を薄肉彫りする。胸に、如来の吉祥相である卍が刻まれる。
弥勒像の左右に「干時文永弐年(1265)乙丑十二月日大施主性勘 敬白」「願以此力 悲母尊霊 罷苦得楽 発菩提心、
及以口口 上生内院 普口四生 平等利益」の刻銘があり、鎌倉時代中期 文永二年(1265)の作品とわかる。・・・・・・・・・・・・・・・・・
早朝高円山の頂からさし昇る朝日にまっ先に照らされることから「朝日観音」と名づけられたという
地蔵磨崖仏(向かって左側)(鎌倉時代中期 文永二年 1265年、花崗岩)、中尊と同時期で同作者 |
左側の磨崖仏は、蓮華座上に二重光背型を彫りくぼめ、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩を刻んだ通常型。中尊の表現と共通する。
地蔵と中尊の間に「南無当来導師梅怚隷耶仏」「南無六道経法地蔵菩薩」「干時文永弐年(1265)乙丑十二月日
大施主性勘 敬白」の刻銘があり、中尊と同じ鎌倉時代中期 文永二年(1265)に同じ施主によって造立された。・・・・・・・・・・・・・
当初(鎌倉時代中期)に刻まれた二仏
首の所で折損する。柳生十兵衛の弟子 荒木又右衛門が、試し切りをしたと語られている所から「首切地蔵」と呼ばれている
滝坂(たきざか)地蔵石仏(首切地蔵) (鎌倉時代後期、花崗岩、像高 182Cm) |
滝坂道 奥の三差路に立つ首切地蔵
*JR奈良・近鉄奈良駅から市内循環バスで「破石町」下車、柳生街道へ、朝日観音は徒歩約3.5Km、首切地蔵は朝日観音より約500m。
(撮影:平成19年1月20日、平成22年6月10日)