丹生川上(にうかわかみ)神社中社 石燈籠

 丹生川上(にうかわかみ)神社中社〔奈良県吉野郡東吉野村小(おむら)968〕

丹生川上神社中社 石燈籠(重要文化財、鎌倉時代中期 弘長四年 1264年、流紋岩、高さ 210Cm)

宝珠の下の請花がなく、笠の勾配もゆるやかで、ゆったりとしている
六角型の石燈籠は、本殿の東横、東殿の前に立っている 火袋は、火口二面、残り四面は壁面とする

火袋の壁面四面は、上区二区横連子、中区は上半を竪連子とする壁面、下区は二区格狭間

竿は上中下の三節で胴を締め付けている。竿の中節の上に刻銘があり、伊派石大工 弘長四年(1264)の作品と知れている

中台の側面は、二区格狭間入りで、下端は単弁の蓮弁を刻出する

竿の中節上方に「丹生社、弘長二二(四)年(1264)二九大工伊末吉、施主右衛門尉」の薄い刻銘がある

川勝政太郎博士はこの燈籠が正元二年(1260)に没した伊行末の東大寺法華堂石燈籠( 建長六年 1254年)と酷似していることから伊行末の嫡男で

ある伊行吉と読めそうと書かれているが、「奈良県史 7 石造美術」で、著者の清水俊明氏は、はっきりと 「伊末吉と判読できる」 と書かれている。

伊末吉らしき名前は、川勝博士の「新版 石造美術」に伊氏末吉があり、廃 円通院(大阪府羽曳野市星田)にあった十三重石塔

(弘安四年 1281年、作品は現在不明)に「大巧伊氏末吉」の記録(星田村明細帳)があると書かれている。この石燈籠から17年後である。

ちなみに伊行吉の般若寺笠塔婆は、弘長元年(1261)の作品であるから、この石燈籠の3年前になる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

基礎上端は一段上に単弁反花、側面は二区格狭間

丹生川上神社中社 西殿と本殿(奥)

本殿の奥が東殿で、燈籠は東殿の前に立っている

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丹生川上神社 中社

 石燈籠(いしどうろう)

*近鉄大阪線 榛原駅前から奈良交通バス 大又行きに乗車、「蟻通(ありとおし)バス停」下車 すぐ。

(撮影:平成21年5月)