浄国院(じょうこくいん)の石仏

 浄国院(じょうこくいん)(奈良県奈良市東笹鉾町38)

  浄国院は南北朝時代の創建で、桃山時代の慶長元年(1596)に再興され浄土宗になった。

  浄国院(じょうこくいん)阿弥陀石仏

浄国院(じょうこくいん)阿弥陀石仏(鎌倉時代中期 建治三年 1277年、花崗岩、高さ 81Cm)

二重光背形を彫りくぼめ、来迎印の阿弥陀立像を厚肉彫りする。納衣の裾から下を欠失し、もとは背の高い笠塔婆であったとも考えられている

右側面に「建治三年(1277)丁丑八月廿三日」、左側面に「観音・・・・・」の刻銘がある

  浄国院(じょうこくいん)阿弥陀・地蔵双仏石

浄国院(じょうこくいん)阿弥陀・地蔵双仏石(南北朝時代、花崗岩、高さ 81Cm)

枠取りをし、内部を彫りくぼめた方形の花崗岩に、蓮華座に立つ来迎印の阿弥陀と右手錫杖・左手宝珠の地蔵を厚肉彫りする

  浄国院 善光寺型三尊石仏・地蔵石仏

善光寺型三尊石仏(鎌倉時代末期、花崗岩、高さ94Cm) 地蔵石仏、阿弥陀石仏の右隣に立っている

善光寺型三尊石仏は大破しているが、阿弥陀の左右に観音・勢至立像を刻んだ信濃善光寺の阿弥陀三尊の形式を模したもので、大変珍しく奈良では二体しかない

本堂の左手、墓地に入る道筋に立つ石仏群

  浄国院 地蔵石仏(慶長十九年銘、非人救済供養仏)

光背の刻銘(左) 浄国院地蔵石仏(桃山時代 慶長十九年 1614年、像高 86Cm) 光背の刻銘(右))

地蔵の頭上光背面に阿弥陀の種子「キリーク」、右に不動明王の種子「カーン」、左に文殊菩薩の種子「マン」を刻む

さらに光背面の右中程に「ヒタ千為眷属」、左中程に「甲寅(慶長十九年 1614年)七月日」の刻銘がある

「ヒタ」は非人の一呼称で、非人供養の為に造立された。また文殊菩薩の種子が刻まれ、西大寺流 叡尊(えいぞん)の信仰を受け継いでいることがわかる

叡尊は、文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生になって行者の前に表れるという教説に従い、非人を集めて供養を行った。浄国院から約1Km北の般若寺

文永六年(1269)三月二十五日に行った大勧進では、当日集まった六千余人(内 非人三千余人)に対して供養を行ったことが「法隆寺別当次第」に記されている・・

  浄国院 地蔵石仏(室町時代後期)

地蔵石仏(室町時代後期、像高 93Cm)、右手は錫杖を持たず、左手に宝珠を持つ地蔵立像を半肉彫りする

墓地の北側に置かれている双仏石

  崇徳寺(そうとくじ)阿弥陀三尊石仏・西方寺蓮台                石仏と石塔-目次!

浄  国  院

 石  仏-紀年順-目次

*近鉄奈良駅下車、東北方向へ徒歩 約15分

(撮影:平成21年7月29日)