宝幢寺(ほうどうじ)(奈良県生駒市小平尾町271)
僧 行基により創建されたと伝える。当初は真言宗であったが、江戸時代後期 文政年間(1818〜30)に融通念仏宗に改宗された。
宝幢寺(ほうどうじ)六字名号板碑(室町時代後期 弘治二年 1556年、花崗岩、高さ 161Cm)
頂部山形内に阿弥陀三尊の種子、身部は枠取りし、蓮華座上に「南無阿弥陀仏」の六字名号を大きく刻み、左右の束に銘文を刻む |
板碑 頭部
中央の蓮華座上月輪内に阿弥陀の種子「キリーク」、右下月輪内に観音の種子「サ」、左下月輪内に勢至の種子「サク」を刻み阿弥陀三尊とする
左右の束に「六斎夜念仏衆廿四人居念仏衆四十九人、弘治二年(1556) 丙辰十一月十五日、敬白」と刻む |
夜念仏衆が24人、居念仏衆が49人、阿弥陀仏の縁日である15日に造立した。
宝幢寺(ほうどうじ)宝篋印塔 (室町時代初期、花崗岩、高さ 52Cm)
大和様式の複弁反花座に納入孔が穿たれている | ||
本堂手前に安置。相輪を欠失し、五輪塔の風・空輪を載せる | 壇上積基壇は一区で、四面とも羽目石に格狭間を刻む |
宝篋印塔は、壇上積基壇の上に複弁反花座を置き、その上に安置される。笠の段型は、下二段上六段、隅飾りは二弧輪郭付。塔身は、金剛界四仏の種子を刻む。
宝幢寺(ほうどうじ)五輪塔 (室町時代初期、花崗岩、高さ 133Cm)
形の整った五輪塔。地輪の背は高く、水輪は下ぶくれの壺型で、火輪は両端で反る。
宝幢寺(ほうどうじ)本堂(重要文化財、室町時代前期、桁行五間 梁間五間、入母屋造、本瓦葺)
宝幢寺(ほうどうじ)(融通念仏宗)
*近鉄 生駒線「南生駒駅」下車、西南西方向へ 徒歩 約900m。
(撮影:平成23年1月12日)