津金寺(つがねじ)石造宝塔南塔

 津金寺(つがねじ)(長野県北佐久郡立科町大字山部279)

   北塔・中央塔の造立者の子等が、亡き父母供養のため造立した宝塔で、鎌倉時代前期 嘉禄三年(1227)の紀年銘がある。

津金寺(つがねじ)石造宝塔 南塔 (県指定文化財、鎌倉時代前期 嘉禄三年 1227年、安山岩、高さ 169.9Cm)

南塔は、笠・相輪は後補。塔身は一石で、首部なく長円形、正面に五行の刻銘があり、造立趣旨・造立者名及び紀年銘を刻んでいる。

笠、後補

塔身、正面

中央に「奉納如法書写□□□□ 嘉禄三年(1227)、丁亥、十月、十四日」、

両側に「法花経二二(四)部、三部経二部、右奉為 各一部慈父、右奉為各一部 悲母、滋野盛口、滋野盛道」の刻銘がある。

慈父と慈母の追善供養の為、如法書写の法花経四部と浄土三部経二部を納めた。

造立者に滋野盛口・滋野盛道の名前が刻まれている。

塔身の刻銘 (現地説明文、部分)

向かって右側、法花経二二(四)部が二部に誤記されている。

刻銘:「滋野盛道」 刻銘:「嘉禄三年(1227)、丁亥」

基 礎 (正・右側面)

基礎は扁平で、上端に塔身受けの薄い円形座を刻出する。側面は、四面とも無地。

鎌倉時代前期 嘉禄三年(1227)の紀年銘がある貴重な石塔 相輪、後補

津金寺(つがねじ)石造宝塔 三基 (県指定文化財、鎌倉時代前期 )

三基とも、朝廷直轄 望月牧の牧場経営に携わっていた滋野一族の供養塔として造立された。

北塔と中央塔(手前二基)は、紀年銘が同じで滋野氏夫婦の逆修塔とみられている。南塔は、その子等が嘉禄三年(1227)に建てた両親の供養塔。

 十日町(とうかまち)六面石幢 (六地蔵幢)                      石仏と石塔!

津金寺(つがねじ)阿弥陀堂(昭和五十六年 1981年再建)

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*しなの鉄道 大屋駅前から東信観光バス 中仙道線 芦田行きに乗車、「上房バス停」下車 徒歩 約3分。

(撮影:平成27年3月26)