弥勒寺(みろくじ)(宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63)
弥勒寺石塔婆群のなか、完形で残るで数少ない一基で、鎌倉時代後期 正応三年(1290)の紀年銘がある。
弥勒寺(みろくじ)胎蔵界大日種子石塔婆 (鎌倉時代後期 正応三年 1290年、粘板岩、高さ 109Cm 下幅 71Cm)
石塔婆群、向って右端に立つ。自然石の表面を平滑にし、上方に大きく胎蔵界大日の種子「アーンク」、下方に願文と紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上方
胎蔵界大日如来(五点具足)の種子「アーンク」を薬研彫する。
「アーンク」は、発心(命点)・修行・菩提(空点)・涅槃・方便究竟の五点を備える。
石塔婆 下部
左右に「右志者為過去慈父」、「聖霊往生極楽也」、中央に「正應三年(1290)、庚刁(寅)、八月廿三日」の刻銘がある。
亡き父の極楽往生を願って、鎌倉時代後期初め 正応三年(1290)八月二十三日に本石塔婆を造立した。
刻銘:「正應三年(1290)、庚刁(寅)、八月」 | 弥勒寺石塔婆群のなかで、最も古いものの一基。 |
弥勒寺(みろくじ)(宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63)
上半を欠損、下方に法華経 如来神力品に出る偈(げ)と元亨三年(1323)の紀年銘が残る。
弥勒寺(みろくじ)石塔婆 (鎌倉時代後期 元亨三年 1323年、粘板岩)
上半の種子部を欠損する。下方は「法華経 如来神力品」に出る偈(げ)と「元亨三年(1323)十二月八日」の紀年銘を刻む。
石塔婆下方の刻銘
左右 各二行に「法華経 如来神力品」に出る偈(げ)、中央に「元亨三年(1323)十二月八日」の紀年銘を刻む。
偈(げ):「於我滅度後(おがめつどご)、応受持斯経(おうじゅじしきょう)、是人於佛道(ぜにんおぶつどう)、決定無有疑(けつじょうむうぎ)」
[ 我が(釈迦)滅度(命終)の後に於いて、まさにこの経を受持すべし、この人仏道において、決定して疑いあることなし ]
弥勒寺(みろくじ)石塔婆群 (鎌倉時代後期~室町時代)
弥勒寺(みろくじ)本堂 (真言宗智山派)
修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)により七世紀頃、一宇の草堂を建立したのが始まりとされている。
本尊は如来形の弥勒菩薩坐像(県指定文化財、鎌倉時代)、仏師 春日(かすが)の作とされている。
*登米市民バス 東和線に乗車、「堀米バス停」下車、北方向へ 約1.6Km。少し遠いが、JR気仙沼線 柳津(やないず)駅で、レンタサイクルを利用できる。
(撮影:平成26年 4月11日)