(仙台市史 No:H37-1)
落合観音堂(おちあいかんのんどう)(宮城県仙台市太白区四郎丸字落合59)
百ヶ日の追善供養として造立された石塔婆で、鎌倉時代後期 文保元年(1317)の紀年銘がある。
落合観音堂 阿弥陀種子石塔婆(鎌倉時代後期 文保元年 1317年、安山岩、高さ 148Cm 幅 57.6Cm 厚さ 41Cm)
鐘楼の手前に立つ。碑は三分断され修理を施す。碑面は、上方に阿弥陀種子、下方に涅槃経に出る偈(げ)、願文、紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上方
阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。
身部 上方、主尊種子「キリーク」 |
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涅槃経に出る偈(げ)
偈(げ):「一切衆生(いっさいしゅじょう)、悉有佛性(しつうぶっしょう)、如来常住(にょらいじょうじゅう) 、無有変易(むうへんやく)」
[ 一切の衆生は、ことごとく仏性あり、如来は常住にして、変わることなし。 ]
石塔婆 下部
刻銘は、中央に「文保元年(1317)、丁巳、・・・日施主、有応、寺中、敬白」、
左右に「右意趣者相当先亡・・幽霊一百ケ日」、「爰為 大菩・・・・等修造如件」と刻む。
刻銘:「文保元年(1317)」 | 石塔婆は、「百ケ日忌」の追善供養として造立された。 |
百ケ日忌の主尊は観音菩薩(種子:「サ」)だが、本碑は十王・十三仏信仰が定着する前にあたり、主尊を阿弥陀種子「キリーク」としている。
落合観音堂 古碑群
観音堂は、名取川右岸の堤防下に位置する。古碑群は、もと河原に並んでいたものを堤防工事の際、ここに移したという。
落合観音堂(おちあいかんのんどう)石塔婆群 石仏と石塔-目次!
落合観音堂(県指定文化財、江戸時代前期 寛永四年 1627年、三間四方入母屋造、茅葺)
伊達正宗の命で建立されたものという。現在は、真言宗智山派 光西寺の末寺になる。
*東北本線 南仙台駅東口から仙台市バス 四郎丸行きに乗車、「袋原落合ポンプ場前バス停」下車、東方向へ徒歩 約150m。
(撮影:平成25年10月10日)