(仙台市史 No:E 5)
経ケ峯(きょうがみね)歴史公園(宮城県仙台市青葉区霊屋下)
経ケ峯にある仙台藩 二代藩主 忠宗の霊廟 感仙殿(かんせんでん)。その再建に伴う発掘調査で、墓壙(ぼこう)から再利用した五基の大型石塔婆が発見された。
経ヶ峯(きょうがみね)種子石塔婆 1号碑・2号碑 (推定:鎌倉時代後期、粘板岩:井内石、高さ 約200Cm)
経ケ峯(きょうがみね)石塔婆 1号碑(宮城県仙台市青葉区霊屋下)(仙台市史 No:E 5-1)
仙台藩 二代藩主 忠宗の霊廟 感仙殿(かんせんでん)、その参道に立つ二基石塔婆で向って右側の方。
経ヶ峯(きょうがみね)種子石塔婆 1号碑 (推定:鎌倉時代後期、粘板岩:井内石、高さ 190.6Cm 幅 75.2Cm 厚さ 10Cm)
1号碑、上方の種子は上部が打ち割られて不明、下方の刻銘は、中央に紀年名(摩耗)、その左右に願文が刻まれている。
刻銘:「・・・・・・・・・・・・下旬候、施主、敬白」「右造立志者為過去悲母」、「証大菩提(異体文字)無差平等利益故也」
願文によれば、亡き母の追善供養として、その冥福を祈って造立されている。
経ケ峯(きょうがみね)石塔婆 2号碑(宮城県仙台市青葉区霊屋下)(仙台市史 No:E 5-2)
仙台藩 二代藩主 忠宗の霊廟 感仙殿(かんせんでん)、その参道に立つ二基の石塔婆で向って左側の方。
経ヶ峯(きょうがみね)種子石塔婆 2号碑 (推定:鎌倉時代後期、粘板岩:井内石、高さ 203.2Cm 幅 48Cm 厚さ 11Cm)
2号碑、上方の種子はこれも上部が割られて不明(種子は密教系)、下方の刻銘は二行、これも摩耗が激しく不明。
1・2号碑は、碑面の摩耗が激しく、長いあいだ敷き石等に利用された痕跡があるという。また、割られた部分は平に加工され、墓石石材として計画的に利用されている。
二代藩主 忠宗の霊廟 感仙殿(かんせんでん)
昭和20年(1945)の戦災で焼失するまでは国宝。戦後、昭和60年(1985)に再建された。
現地説明板(部分)
二代藩主 忠宗の霊廟 感仙殿(かんせんでん)その墓窒から五基の大型石塔婆が発見された。
経ケ峯(きょうがみね)石塔婆 3号碑(宮城県仙台市青葉区霊屋下)(仙台市史 No:E 5-3)
3号碑は、感仙殿の向って右側 妙雲界廟(九代藩主・十一代藩主夫妻廟)に三片に分かれてある。
経ヶ峯(きょうがみね)種子石塔婆 3号碑 (推定:鎌倉時代後期、粘板岩:井内石、高さ 223.4Cm 幅 44Cm 厚さ 11Cm)
3号碑、上方の種子は上部が割られてるが不動種子「カンマーン」、下方の刻銘は、種子の下に無量寿経に出る偈頌、中央に紀年名、その左右に願文が刻まれている。
刻銘:「従如来生、解法如如」、「干時同年狭鐘(二月)支干客 一百个・・・・・」
「夫倩以・・・・・・・覚生本源也諸仏善・・・」、「成等正覚口逆・・・為遁脱当来苦患所・・・」
経ケ峯(きょうがみね)石塔婆 4号碑(宮城県仙台市青葉区霊屋下)(仙台市史 No:E 5-4)
4号碑は刻銘も良く残っており、伊達正宗の霊廟 瑞鳳殿(ずいほうでん)の隣にある資料館に展示されている。
経ヶ峯(きょうがみね)種子石塔婆 4号碑 (鎌倉時代後期 元亨三年 1323年、粘板岩:井内石、高さ 212.4Cm 幅 70.4Cm 厚さ 7.5Cm)
4号碑、上方の種子は上部が割られてるが矜羯羅童子の種子「コンカラ」、下方の刻銘は、種子の下に浄土教古徳之偈(げ)、中央に紀年名、その左右に各二行 願文が刻まれている。
偈(げ):「十方三世仏(じっぽうさんぜぶつ)、一切諸菩薩(いっさいしょぼさつ)、八万諸聖教(はちまんしょしょうぎょう)、皆是阿弥陀(かいぜあみだ)」
[ 十方三世の御仏、一切の諸菩薩、八万の諸聖教は、みなこれ阿弥陀 也 ]
刻銘:「十方三世仏、一切諸菩薩、八万諸聖教、皆是阿弥陀」、「元亨参年(1323)、癸亥、二月彼岸第一番」
「右志者相当悲母十三年、遠忌所令造立也仍為過去」、「聖霊出離生死証大菩薩(異体文字)、乃至法界平等利益也、施主、敬白」
亡き母親十三年忌の追善供養として鎌倉時代後期 元亨三年(1323)に、亡き母親十三年忌の追善供養として造立された石塔婆。
経ケ峯(きょうがみね)石塔婆 5号碑(宮城県仙台市青葉区霊屋下)(仙台市史 No:E 5-4)
5号碑は4号碑と同年の元亨三年(1323年)の紀年銘で、刻銘の内容から二基は一組で造立された可能性が高いとみられている。現物は、資料館に展示されている。
経ヶ峯(きょうがみね)種子石塔婆 5号碑 (鎌倉時代後期 元亨三年 1323年、粘板岩:井内石、高さ 232.2Cm 幅 70.4Cm 厚さ 12Cm)
5号碑、上方の種子は上部が割られてるが愛染明王の種子「ウーン」、下方の刻銘は、中央に紀年名、その左右に各二行 願文が刻まれている。
刻銘:「元亨三年(1323)、大才、己亥(間違いで、正しくは「癸亥」)、卯月十二日、衆徒、敬白」
「右・・・・・・・・・、善根自元応元年(1319)至于元亨三年(1323)首尾」、「四年奉続誦一乗妙典并石塔婆二本、以此追善自他法界平等利益故」
鎌倉時代後期 元応元年(1319)から元亨三年(1323)までの四年間、法華経を読誦して追善供養とし、あわせて石塔婆を二本造立した。
ここ経ケ峯(きょうがみね)は、法華経を日常不断に読誦する修行の場であったという。
経ヶ峯(きょうがみね)種子石塔婆 1号碑・2号碑 (推定:鎌倉時代後期、粘板岩:井内石、高さ 約200Cm)
写真を撮ることが出来る石塔婆は、この二本だけ。あとは、資料館に展示されている元亨三年(1323)銘石塔婆 二基がみられる。
経ケ峯は伊達正宗の前身という、万海という行者が経を埋納した場所で、その墓もあったと言う伝えがあるという。
瑞鳳殿(ずいほうでん)の涅槃門
伊達正宗の霊廟 瑞鳳殿の前に建っている。
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初代藩主 正宗の霊廟 瑞鳳殿(ずいほうでん)
昭和20年(1945)の戦災で焼失するまでは国宝。戦後、昭和54年(1979)に再建された。
*JR仙台駅前から市バス 交通局大学病院前行きに乗車、「霊屋橋バス停」下車。または「るーぶる仙台」利用 「瑞鳳殿前バス停」下車、徒歩。
(撮影:平成26年4月9日)