天寿庵(てんじゅあん)(宮城県大崎市古川堤根字上屋敷)
美しい来迎相の阿弥陀如来を薄肉に刻んだ板碑で、鎌倉時代後期 正応三年(1290)の紀年銘がある。
天寿庵 阿弥陀図像板碑(中央) (鎌倉時代後期 正応三年 1290年、粘板岩:井内石、高さ 119Cm 幅 34Cm)
参道入口、板碑群三基の中央に立つ。身部上方、長方形枠線内に来迎相 阿弥陀如来、下方に紀年銘と願文を刻む。 |
板碑、頭部
頭部を損傷する。現状は、水平。
蓮華座上、円形頭光を負い、中品下生の来迎印を結ぶ阿弥陀如来を薄肉彫りする。頭部からの光明放射も表現している。 |
阿弥陀の印は、九品の印相があり、右手の親指に中指をつけ来迎印を結ぶ形は、中品下生の印になる。「中品下生の者」とは、立派な若者または
立派な娘であって、父母に孝養をつくし、世間の人々と深い友情を以って交わった者のことで、その人 臨終のとき、来世の幸福な姿を観無量寿経に
説いている。本石塔婆は、刻銘により、亡き子息の五七日忌(三十五日)に、その冥福を祈って造立されている。本板碑から、子息を失った親の深い
悲しみと、情愛が見てとれる。口口口口口口口口口口口口口口・口口口口口口口口口口・口口口口口口口口口口口口口口口口口口・
阿弥陀如来の蓮華座
最下 陰刻の反花(かえりばな)上、線刻下敷き茄子、その上に薄肉彫りで蓮弁を丁寧に刻む。
板碑下部、願文と紀年銘 | 刻銘:「正応三年(1290)、庚寅、十二月日」 |
願文と紀年銘:「右志為相応忘子五七、出離生死證大菩提也」、「正応三年(1290)、庚寅、十二月日」
[ 亡き子息の五七日忌(三十五日)にあたり、その冥福を祈って正応三年(1290)十二月に本板碑を造立した。]
板碑、下部
根部はなく、中央に「正応三年(1290)、庚寅、十二月日」の紀年銘、その左右に願文を刻む。
願面や印相、衲衣など全体が繊細に刻まれている。 | 板碑、背面 |
天寿庵(てんじゅあん)入口に立つ三基の板碑群
中央が、本阿弥陀図像板碑。
*JR陸羽東線 古川駅前からミヤコーバス高倉線 中新田行きに乗車、「堤根バス停」下車、北方向へ 約100m。
(撮影:平成26年4月15日)