福現寺(ふくげんじ)(宮城県栗原市高清水中町38)
金剛界大日種子を中心とする曼荼羅を種子で刻んだ石塔婆で、鎌倉時代後期 永仁六年(1298)の紀年銘がある。
福現寺(ふくげんじ)金剛界曼荼羅石塔婆( 鎌倉時代後期 永仁六年 1298年、粘板岩、高さ 110.7Cm 下幅 39.6Cm)
門内左手に立つ。身部は、二重の輪部間に八尊種子、その内側を九等分し中心の金剛界大日種子を中心に九尊種子を刻み曼荼羅とする。 |
身部下方は、願文と鎌倉時代後期 「永仁六年(1298)」の紀年銘を刻む。尚、石材は、宮城県石巻市を主産地とする「井内石(稲井石)」(粘板岩)を使用する。
板碑 頭部
頭部は、山形に荒く成形する。
曼荼羅(まんだら)部
種子配置は、下記の配置図の通りになっている。(「高清水町史 板碑編」参考)
(尚、仏尊については、該当すると思われるものを当方にて記入。種子不明は、欠けて読めないもの。)
- | 西 | |||||||||
種子不明 | 種子不明 | 仏尊不明 | ||||||||
- | - | - | - | ラ | ||||||
- | - | |||||||||
宝 生 如 来 | 阿弥陀如来 | 仏尊不明 | ||||||||
タラーク | キリーク | カー | ||||||||
- | ||||||||||
南 | 増 長 天 | 金剛宝菩薩 | - | 金剛界大日如来 | - | 金剛業菩薩 | 多 聞 天 | 北 | ||
ビ | オン | バン | キャン | バイ | ||||||
- | ||||||||||
阿 閦 如 来 | 不空成就如来 | 観 音 菩 薩 | ||||||||
ウーン | アク | サ | ||||||||
- | - | |||||||||
天部の通種子 | 種子不明 | 金剛護菩薩 | ||||||||
ウーン | カン | |||||||||
-東 |
曼荼羅の種子配置
赤字は金剛界五仏、黄字は十六大菩薩、青字は四天王。
金剛界四仏も西を基点として、時計回りに「阿弥陀」(西)・不空成就(北)・阿閦(東)・宝生(南)と見れば方向があっている。
金剛宝(オン)は南方 宝生如来を囲む四仏の一つ、金剛業(キャン)は北方 不空成就を囲む四仏の一つ。(金剛界曼荼羅成身会)
石塔婆、下方
向って右から「右志者為過去聖霊、出離生往極楽證大菩提、乃至法界衆生同利也、
永仁六年(1298)四月日施主敬白」の刻銘がある。
石塔婆、下方の刻銘 | 刻銘:「永仁六年(1298)四月」 |
刻銘 全文:「右志者為過去聖霊、出離生往極楽證大菩提、乃至法界衆生同利也、永仁六年(1298)四月日施主敬白」
尚、本石塔婆の裏面は江戸時代前期 天和二年(1682)十二月中旬 銘で、三尊種子と南無阿弥陀仏の六字名号を刻んだ石碑として再利用されている。
亘理(わたり)家の墓(史跡)
福現寺は、亘理氏の菩提寺であった「安楽寺」の跡地に建てられた。
福現寺(ふくげんじ)(曹洞宗)
福現寺は仙台藩重臣 石母田氏の菩提寺で、宝暦七年(1757)主家の移封に伴い、加美郡宮崎から高清水に移転した。
*JR陸羽東線 古川駅前からミヤコーバス古川線 栗原中央病院行きに乗車、「高清水バス停」下車、南方向へ徒歩 約3分。
(撮影:平成26年4月14日)