高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
小型の石塔婆で、地蔵立像が刻まれている。当石塔婆群には、もう一基 地蔵像を刻んだ南北朝時代前期の石塔婆があり、ほぼ同時代と推定されている。
高木(たかぎ)観音堂 地蔵図像石塔婆 (推定:南北朝時代、粘板岩、高さ 54Cm 幅 34Cm 厚さ 7Cm)
石塔婆は前から二列目に立つ。身部は、中央に蓮華座に立つ地蔵菩薩、その左右に刻銘が刻まれている。 |
地蔵 頭部
お顔の輪郭は、くっきりと残っているが細部が摩耗している。円光背と大きな錫杖頭が目立っている。
地蔵菩薩立像 | 刻銘:「右志者為過去口口」 |
地蔵は、蓮華座の上に立ち、円光背を負い右手に錫杖を持ち、大きな錫杖頭や衲衣まで丁寧に彫られている。
刻銘は、地蔵像の両側に「右志者為過去口口」、「・・・・・・・・・・・・・・」と刻む。残る文面から、追善供養のため造立されたことが分かる。
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
本石塔婆群には、紀年銘が摩耗して読めなかったり、もともと刻まれていなかったりした石塔婆が約36基ある。その内の何基かを以下に記す。
高木観音堂(たかぎ かんのんどう) 石塔婆 (紀年不詳、粘板岩、高さ 125Cm 幅 25Cm 厚さ 15Cm) |
石塔婆は前から五列目に立つ。石塔婆は、改刻され元の種子や願文は痕跡を残すだけ。近世に刻まれたと思われる二つの月輪と種子が残る。
石巻市の石塔婆は、「石巻の歴史第八巻」によると掲載の613基のうち53%の330基が改刻されており、当時の人々は違和感なく再利用している。
身部 上方
上の月輪が当初のもので、その下の二個の月輪と阿弥陀種子「キリーク」は近世のものと思われる。
近世に刻まれた二個の月輪
二個の月輪内は、兎(うさぎ)と鳥がそれぞれ刻まれている。
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
地蔵種子(カ)石塔婆 (三列目) | 地蔵種子(カ)石塔婆 (五列目) | |
高さ 72×幅 38×厚さ 9Cm | 高さ 110×幅 30×厚さ 10Cm | |
刻銘:「口口五年口月日、敬白」 | 刻銘:「・・忌、・・年十月日、口生極楽乃至法界故也」 |
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
高木観(たかぎ)音堂 勢至種子石塔婆 (紀年不詳、粘板岩、高さ 87Cm 幅 39Cm 厚さ 10Cm)
前から三列目に立つ。身部は、上方に勢至菩薩の種子「サク」、下方に五輪塔四門の梵字の内、発心門・修行門の梵字が刻まれている。
石塔婆の刻銘
刻銘は、向って右に「キャ・カ・ラ・バ・ア」(東方、発心門)、左に「キャー・カー・ラー・バー・アー」(南方、修行門)
、その他「妙元」、「・・・・・・・・」の刻銘がある。
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
石塔婆(断碑) (三列目) | 金剛界大日種子(バン)石塔婆 (三列目) | |
高さ 96×幅 16×厚さ 8Cm | 高さ 68×幅 30×厚さ 10Cm | |
刻銘:「口獄蓮公禅定門逆修善根為也」 | 刻銘:「右志者、妙春禅尼、頓証菩提」 |
高木観音堂(かんのんどう)石塔婆群
観音堂の境内に、鎌倉時代後期 永仁四年(1296)を最古として、南北朝を経て、室町時代中期 長享二年(1488)までの石塔婆が約90基立つ。
安楽寺跡(あんらくじあと) 阿弥陀種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
高木観音堂(かんのんどう)
曹洞宗の浸透により、廃寺になった天台宗 日塔山観音寺の跡に観音堂を建て、その本尊を祀った。
石塔婆は、観音寺の頃の遺品と思える。
*JR石巻駅から北東方向へ 約7.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月13日)