高木(たかぎ)観音堂胎蔵界大日種子石塔婆

 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)

   胎蔵界大日種子「アーク」を主尊に刻む石塔婆で、室町時代前期 応永二十四年(1417)の紀年銘がある。

高木観音堂 胎蔵界大日種子石塔婆 (室町時代前期 応永二十四年 1417年、高さ 135Cm 幅 23Cm 厚さ 13Cm)
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石塔婆は前から五列目に立つ。身部は、上方に胎蔵界大日種子、その下に観無量寿経に出る偈、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

胎蔵界大日如来の種子「アーク」を刻む。

石塔婆に刻まれた偈(げ)

常満口口、遍照一切令離三、得無上力」(「石巻の歴史第八巻」参照)

下記、観無量寿経に出る偈(げ)をもとにした偈で、一句目と二句目の文言が変化している。(三句目の三途は三塗と同じ)

観無量寿経に出る偈(げ)(偈は「大勢至」を詠んだもの)

偈(げ):「以智慧光(いちえこう)、普照一切(ふしょういっさい)、令離三塗(りょうりさんず)、得無上力(うむじょうりき)

[ 智慧の光をもって、あまねく一切を照らし、三悪道から離れさせ、無上の力を得たまえり。 ]

三塗 : 地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道の中で、地獄・餓鬼・畜生を三悪道(三塗・さんず)という。

石塔婆、下部の刻銘(全文) 刻銘:應永二十四季(1417)正月」

刻銘は、中央に「右志者為 應永二十四季(1417)正月十七日、孝子、 敬白」

向って右に「真口悉徳・・・・・・・・年忌辰」、左に「口思三途法界衆生風円口皆故也」と刻む。

願文の年忌が不明だが、本尊が「アーンク」(胎・大日)の為、十三回忌の追善供養の可能性が高い。

高木(たかぎ)観音堂応永十八年銘石塔婆

 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)

   百ケ日忌の追善供養に建てられた石塔婆で、室町時代前期 応永十八年(1411)の紀年銘がある。

高木観音堂 石塔婆 (室町時代前期 応永十八年 1411年、粘板岩、高さ 62Cm 幅 33Cm 厚さ 10Cm)

石塔婆は前から二列目に立つ。身部は、上方の種子部を欠失する。残る刻銘部に造立趣旨と紀年銘を刻んでいる。

刻銘

刻銘は、中央に「・・者為 應永十八年(1411)、辛卯、七月四日、施主、敬白」

向って右に「・・明向禅尼百ケ日忌景」、左に「・至法界衆生平等利益故也」と刻む。

百ケ日忌に造立されている為、欠失している種子は、その本尊 観音菩薩 「サ」の可能性が高い。

刻銘:應永十八年(1411)、辛卯、七月

高木(たかぎ)観音堂応永二十三年銘石塔婆

 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)

   妙光禅尼 百ケ日忌に建てられた石塔婆で、室町時代前期 応永二十三年(1416)の紀年銘がある。

高木観音堂 種子石塔婆(室町時代前期 応永二十三年 1416年、粘板岩、高さ 76Cm 幅 20Cm 厚さ 15Cm)

石塔婆は前から二列目に立つ。上方は損傷し種子は不明、下方は造立趣旨と紀年銘を刻んでいる。

石塔婆の刻銘(全文) 刻銘:應永廿三年(1416)卯月」

刻銘は、中央に「右志者為 應永廿三年(1416)卯月廿三日、敬白」

向って右に「相当妙光禅尼三十五忌辰口口」、左に「乃至法界平等利益故也」と刻む。

妙光禅尼 三十五日忌の石塔婆で室町時代前期 応永二十三年四月二十三日に造立された。

尚、不明の種子は三十五日忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」である可能性が高い。

※ 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 一覧

 高木(たかぎ)観音堂 勢至種子石塔婆                      石仏と石塔-目次!

高木観音堂(かんのんどう)石塔婆群(中央部)

観音菩薩を中心に、五列 約90基の石塔婆が立つ。

 板碑(いたび)

*JR石巻駅から北東方向へ 約7.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。

(撮影:平成26年4月13日)