一皇子宮(いちおうじぐう)(宮城県石巻市湊字大門崎山 2)
「平朝臣胤常」の名を刻む石塔婆で、鎌倉時代中期 弘安六年(1283)の紀年銘がある。
一皇子宮 阿弥陀種子石塔婆 (鎌倉時代中期 弘安六年 1283年、粘板岩、高さ 98Cm 幅 31Cm 厚さ 10Cm)
石塔婆上部、向って右側半分を欠く。身部は、上方 蓮座上月輪内に阿弥陀種子「キリーク」、下方は願文と紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上部
阿弥陀如来の種子「キリーク」を蓮座上月輪内に刻む。
石塔婆、下方の刻銘 (全文) | 刻銘:「弘安六年(1283)七月」 |
刻銘は、四行で「・・・・・口死去之後平朝臣胤常夢、・・・・明王宮王音可随霊道之願口、
月十四日可立率堵波已云実可口口引導順、領状立証入口覚如此事悲歎之涙迠禁、
乃口口口口之以資波菩提 弘安六年(1283)七月十四日」と刻む。
一皇子宮(いちおうじぐう)(宮城県石巻市湊字大門崎山 2)
上半が残る断碑で、格調の高い作品。種子の形から鎌倉時代のものと推定されている。
一皇子宮(いちおうじぐう)種子石塔婆 (推定:鎌倉時代、粘板岩、高さ 176Cm 幅 42Cm 厚さ 21Cm)
下半が欠失し、上半のみ残る。頭部は山形風、残る身部は、上から 阿弥陀種子と胎蔵界大日種子を蓮座上月輪内に刻んでいる。 |
碑面 上部
阿弥陀の種子「キリーク」を蓮座上月輪内に刻む。
碑面 中部
胎蔵界大日如来の種子「アーク」を蓮座上月輪内に刻む。
碑面 下部
大日種子の蓮座下に梵字らしきもののかけらが見える。
一皇子宮(いちおうじぐう)十三仏種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
一皇子宮(いちおうじぐう)拝殿
後醍醐天皇の皇子 護良(もりがな)親王(大塔宮:おおとうのみや)を祀る。
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約2.3Km。
(撮影:平成26年4月10日)