安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)
「弁慶石」と呼ばれる本石塔婆群最大の石塔婆で、鎌倉時代後期 正和元年(1312)の紀年銘がある。
安楽寺跡 胎蔵界大日種子石塔婆 (鎌倉時代後期 正和元年 1312年、粘板岩、高さ 275Cm 幅 95Cm 厚さ 17Cm)
本石塔婆群最大の石塔婆でよく目立つ。身部は、上方に胎蔵界大日如来の種子「ア」、下方に「正和元年(1312)」の紀年銘を刻む。 |
身部 上方
胎蔵界大日如来の種子「ア」を薬研彫する。
石塔婆、下部の刻銘 | 刻銘:「正和元年(1312)」 |
刻銘は、下部中央に「右奉為 正和元年(1312)十二月」と刻む。
安楽寺跡 胎蔵界大日種子石塔婆 (鎌倉時代後期 正和元年 1312年、粘板岩、高さ 275Cm 幅 95Cm 厚さ 17Cm)
本石塔婆は、「風土記書上」の名石の部に「一 石塔 長九尺 横三尺 厚六寸 但安楽寺阿弥陀堂後御座候」と書かれているという。
安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)
制叱迦(せいたか)童子の種子「セイタカ」を主尊とする石塔婆で、南北朝時代前期 貞和二年(1346)の紀年銘がある。
安楽寺跡 制叱迦種子石塔婆 (南北朝時代前期 貞和二年 1346年、粘板岩、高さ 203Cm 幅 42Cm 厚さ 18Cm)
最大高の大日石塔婆の隣に立つ。身部は角柱状で、上方に制叱迦(せいたか)童子の種子、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
身部 上方
制叱迦(せいたか)童子の種子「セイタカ」(異字体)を刻む。
石塔婆の刻銘(全文)
刻銘は、中央に「右 貞和第二(1346)、丙戌、九月六日 結衆」、
向って右に「造立意趣者為次月読誦妙典一緒衆面々」、左に「乃至口口諸聖霊口大菩提放也 敬白」と刻む。
お経(妙典)を面々が集まって読誦した結衆石塔婆で、南北朝時代前期 貞和二年(1346)九月六日の紀年銘がある。
「石巻の歴史 第八巻」では、服部清道氏の教示とした上で、本石塔婆を真言宗系の板碑としている。
刻銘:「貞和第二(1346)、丙戌、九月」
安楽寺跡(あんらくじあと) 釈迦種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
安楽寺跡(あんらくじあと) 石塔婆群 (向って右側群)
近世の石塔婆二基の向って右隣、「弁慶石」と呼ばれる石塔婆群最大の石塔婆から右側に5基が立つ。
*JR石巻駅から北東方向へ 約10.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月13日)