廃補陀落寺(はいふだらくじ)町石(三重県伊賀市西高倉)
自然石を用いた町石で、在銘最古の町石として知られる。基石と四丁石に建長五年(1253)の紀年銘がある
基 石
廃補陀落寺 町石自然卒塔婆 基石(国史跡、建長五年 1253年、花崗岩、中心高さ 80.5Cm 最大幅 69Cm)
基石は正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子の内 「アク:天鼓雷音」を刻み、その下に願主名と紀年銘を刻んでいる
上部種子刻銘:「アク:天鼓雷音」、下部刻銘:「願主、八月廿四日、多真水、建長五年(1253)癸丑」(向かって右より) |
町石自然卒塔婆は、奈良街道から水上山にあった補陀落寺まで一町毎に立てられ、現在、十基が残っている
三 丁 石
三丁石 (国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、中心高 87Cm 最大幅 78Cm)
三丁石は、正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子の内 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「願主」左下に「僧印増」の刻銘がある
四 丁 石
四丁石 (国史跡、鎌倉時代中期 建長五年 1253年、花崗岩、中心高 105Cm 最大幅 65Cm) |
四丁石は、正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子 「アン:阿弥陀」を刻み、その下に「建長五年癸丑四丁、七月、十八日」、右下に「願主」左下に「覚円」の刻銘がある
僧 覚円は、当時の念仏衆団に関係していたことが確認されている(現地説明板)
五 丁 石
五丁石 (国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、中心高 100Cm 最大幅 79Cm)
五丁石は、正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子の内 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「願主」左下に「国重吉」の刻銘がある
七 丁 石
七丁石 (国史跡、鎌倉中期、花崗岩、中心高 67Cm 中央幅 35Cm) |
七丁石は正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子の内 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「願主」左下に「藤原友重」の刻銘がある
八 丁 石
八丁石 (鎌倉時代中期、花崗岩、中心高 67Cm 最大幅 47Cm)
八丁石は、昭和29年4月に近くの川原で発見され指定はない。正面上部に 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「願主」左下に「源守清」の刻銘がある
九 丁 石
九丁石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、中心高 66Cm 最大幅 54Cm)
九丁石は、正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子の内 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「願主」左下に「下守實」の刻銘がある
十 二 丁 石
十二丁石 (国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、中心高 70Cm 最大幅 50Cm) |
十二丁石は、正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子の内 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「藤原氏」の刻銘があり、左下に刻銘はない(願主の文字が省かれている)
十 三 丁 石
十三丁石 (国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、中心高 68.5Cm 最大幅 64Cm)
十三丁石は、正面上部に大きく胎蔵界五仏の種子の内 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「願主」左下に「本為貞」の刻銘がある
十 五 丁 石
十五丁石 (国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、中心高 92Cm 最大幅 70Cm)
十五丁石は、正面上部に種子 「アク:天鼓雷音」を刻み、右下に「願主」左下に「文佛」の刻銘がある
※以上、合計 十基が残っている。それ以外の町石は、残っていない。
自然石塔婆(鎌倉時代中期、中央高 71Cm 最大幅 70Cm) | 高倉神社 石柱(畠山バス停の後に立つ。十三丁石がみえる) |
自然石塔婆は、基石と並んで立っている。中央に発心門の梵字「キャ・カ・ラ・バ・ア」を刻み、右下に「法主」、左下に「祐清」の刻銘がある
十一丁石 (最近、新しく建てられたと思われる)
高倉神社本殿(中央)、春日社本殿(左)、八幡社本殿(右)(三社とも重要文化財、桃山時代)
補陀落寺は、高倉神社の別当寺で、創建・廃寺は不明であるが高倉神社の棟札から16世紀末まで存続したことが分かっている
*近鉄 上野市駅前・上野産業会館より三重交通バス西山行き乗車、「畠山バス停」下車、畠山バス停から近くに十三丁石がみえる。北に行くと廃補陀落寺の方向になる。十五丁石のみ、畠山バス停の一つ手前「木田原バス停」の畠山寄りに補陀落廃寺町石の説明をした石碑が建ち、そこを右折した先 約20m位の所に立っている。
(撮影:平成21年7月15日、平成21年10月15日)