大宮神社(おおみやじんじゃ)宝篋印塔

 大宮神社(おおみやじんじゃ)(京都府綴喜郡宇治田原町大字荒木小字天皇38)

   光仁天皇の勅命により宝亀元年(770)に雙栗天神社(さぐりてんじんしゃ)よりこの地に遷宮されたと伝える神社

大宮神社宝篋印塔(町指定文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 167Cm)

塔身正面、金剛界四仏の種子を蓮華座上月輪内に刻む(ウーン:阿閦如来)
宝篋印塔は、本殿に向かって左手、手前に立っている 塔身東面、金剛界四仏の種子を蓮華座上月輪内に刻む(タラーク:宝生如来)

宇治田原は、天智天皇の第七子「施基(しき)皇子(田原天皇)」が居を構えていたとの伝承があり、石塔は施基皇子の菩提を弔う為建てられたものといわれている

笠の段形は、下二段、上は珍しい七段、隅飾は輪郭付の二弧で直立、内に月輪を陽刻し梵字「アク」を陰刻する

塔身背面、金剛界四仏の種子を蓮華座上月輪内に刻む(キリーク:阿弥陀)
塔身西面、金剛界四仏の種子を蓮華座上月輪内に刻む(アク:不空成就) 宝篋印塔は、笠の部分に注連縄が張られ、石柵内に祀られている

神社の下には、7世紀後半に開かれた「山瀧寺(さんりゅうじ)」があったため、宝篋印塔は、その遺品ともみられている

基礎上端は二段、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。格狭間内は四面とも近江文様の三茎蓮

相輪はほとんど逓減がつかない。上から宝珠・請花・九輪・請花・伏鉢 宝篋印塔は、近江系統のもので鎌倉時代後期の作品

この宝篋印塔は、背の高い二弧の隅飾を持つ近江の田中神社宝篋印塔(永仁二年 1294年)に類似をみている。

この宝篋印塔を特徴付けているのは、背の高い二弧の隅飾で、内に蓮華座上小月輪を陽刻し、梵字「アク」を刻んでいる

 田原南(たわらみなみ)宝篋印塔(わらじの神様)                石仏と石塔-目次!

大宮神社本殿

宝篋印塔紀年順  田原南(たわらみなみ)宝篋印塔(わらじの神様)(鎌倉時代後期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*近鉄京都線 「新田辺駅」またはJR学研都市線「京田辺駅」下車、京阪宇治バス 国立病院・緑苑坂 工業団地 方面行きに乗車、「大宮道バス停」下車 北西方向へ 徒歩 約10分。

(撮影:平成21年4月30日)