清涼寺(せいりょうじ)両面石仏・八面石幢

 清涼寺(せいりょうじ)(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46)

  嵯峨釈迦堂と呼ばれ、国宝の釈迦如来立像があまりにも有名。本像を模した清涼寺式の釈迦像が多数造られている。

 清涼寺 両面石仏

  大きな花崗岩の自然石 両面に石仏が半肉彫りされている

清涼寺(せいりょうじ)両面石仏(鎌倉時代前期、花崗岩、高さ 210Cm)

表面、舟形光背を負い蓮華座に坐す弥勒坐像を半肉彫りし、頭上に天蓋を彫出している。蓮華座下の大きな複弁反花座は後補

両面石仏は、一切経堂の南側にある(写真は側面)

裏面は、宝塔を半肉彫りし、宝塔の塔身に、釈迦と多宝如来の二仏が並座している。宝塔塔身下の反花座は、当初のもの

塔身の扉は開かれ、二仏並座の如来像は各々光背を負っている。宝塔は、屋根の瓦棒や軒下の垂木、相輪から屋根への宝鎖まで細かく刻み出す

  清涼寺 八面石幢(せきどう)

   八面石幢は、清涼寺を開基した「然(ちょうねん)上人(938〜1016)の墓と呼ばれている。但し、石幢は鎌倉時代末期の作で時代が合わない

清涼寺 八面石幢(鎌倉時代末期、花崗岩、高さ 155Cm)

幢身と龕部を一石で作り長い柱状とし上に笠を置く単制石幢で、幢身の裾がやや広がり上部に仏立像が刻まれている。笠は後補

軒端梅(のきばのうめ)樹齢350年余

和泉式部が好んだといわれている

 清涼寺(せいりょうじ)石造層塔                            石仏と石塔-目次!

清涼寺(せいりょうじ)本堂(江戸時代中期 元禄年間再建、七間七面、入母屋造、本瓦葺)

清涼寺は、嵯峨天皇の皇子源融(とおる)の山荘を後に寺としたもの。初め、華厳宗、のち天台宗、真言宗、念仏宗を兼ね現在は浄土宗に属す

 石  仏-紀年順-目次                 石 幢 (せきどう)

* JR山陰本線「嵯峨嵐山」下車、徒歩 約20分。京都市バス、京都バスにて「嵯峨釈迦堂バス停」下車 徒歩約2分。

(撮影:平成20年12月22日、平成19年7月15日・3月11日)