妙覚寺(みょうかくじ)(京都府京都市上京区下清蔵口町135))
日蓮宗京都十六本山の一つ。永和四年(1378)に日実が四条大宮に開創し、天正年間に秀吉の命により現在地に移転した
妙覚寺(みょうかくじ)題目笠塔婆(室町時代前期、花崗岩、高さ 約270Cm)
北塔(向かって右):室町時代前期 応永七年 1400年、中央塔:応永十七年 1410年、南塔(向かって左): 応永二十一年 1414年)
それぞれ日朗、日蓮、日像の祥月(しょうつき)命日を造立日としており、礼拝対象の供養塔であることがわかる
祥月(しょうつき)命日:人の死後一周忌以降の、故人の死んだ月日と同じ月日。正忌。
近世風の宝珠・請花(一石) | ||
北塔 (室町時代前期 応永七年 1410年、花崗岩) | 笠は、方形で上端に露盤、四方に降棟、軒下に一重の垂木型を刻出する |
塔身は輪郭を巻き、前と左右の三面は半肉彫りの蓮華座上に「南無妙法蓮華経」の題目を刻む。
背面は「日朗菩薩 応永七年二月廿一日施主妙浄」と日朗上人の祥月(しょうつき)命日を造立日としている。
祥月(しょうつき)命日:人の死後一周忌以降の、故人の死んだ月日と同じ月日。正忌。
基礎上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる
きれいな形の宝珠・単弁の請花(一石) | ||
中央塔 (室町時代前期 応永十七年 1410年、花崗岩) | 笠は、方形で上端に露盤、四方に降棟、軒下に一重の垂木型を刻出する |
塔身は輪郭を巻き、前面は半肉彫りの蓮華座上に「南無妙法蓮華経」の題目、左面は題目のみを刻む。
右面は「南無日蓮大菩薩」、背面は「応永十七年庚刁十月十三日」と日蓮上人の祥月(しょうつき)命日を造立日としている。
基礎上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。しゃくれた反花や格狭間に時代の特色が表れている。
扁平な宝珠・請花(一石) | ||
南塔 (室町時代前期 応永二十一年 1414年、花崗岩) | 笠は、方形で上端に露盤、四方に降棟、軒下に一重の垂木型を刻出する |
塔身は輪郭を巻き、前と左右の三面は半肉彫りの蓮華座上に「南無妙法蓮華経」の題目を刻む。
背面は「日像菩薩 応永廿一年十一月十三日施主妙浄」と日像上人の祥月(しょうつき)命日を造立日としている。
基礎上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間をつくる。しゃくれた反花や格狭間に時代の特色が表れている。
妙覚寺大門と本堂(共に府指定文化財)
寺伝によれば、大門は天正十八年(1590)に秀吉が建てた聚楽第の裏門を寛文三年(1663)に移建したものといわれている
*妙覚寺墓地へは、京都市バス「堀川鞍馬口バス停」下車、バス停のすぐ南が堀川紫明の交差点で、交差点の南東側に壁に囲まれた妙覚寺墓地(境外墓地)が見えている。この墓地には、狩野元信・狩野永徳の墓がある。妙覚寺は墓地から少し離れて東側にある。
(撮影:平成20年10月30日、平成21年4月28日)